由緒有るパワースポットです。
八幡宮の置かれる理由として「農業神として」「武神として」が多いが、この菱形地区周辺は鎌倉時代以降に豊後の大友氏に領有され円台寺が栄えたことを考えると八幡神の総本山宇佐を持つ豊後大友氏による勧請なのかもしれない。
日本中に数多くある八幡宮の中の1つ、と思いきや結構凄い伝承があって「最初に八幡神が再降臨した場所はこの地の菱形の池である(その後、宇佐へ移った 宇佐と菱形は地下で繋がっている)」という「総本山宇佐の前に降臨したのはこの菱形八幡宮だよ」というものだ。
東へ数百mのところに「菱形の池」という場所があるが、以前は菱形八幡宮裏手の洞窟(白龍窟)にあったものを江戸時代頃に現在地に移設したもの。
奥は200mほど続く長い洞窟。
八幡神は応神天皇と同一とされるが、上記の伝承と関連付けられて「応神天皇もこの地出身では?」という話まで生まれたそうだ。
そこから洞窟を(応神天皇の母である)神功皇后の子宮と見立て(へその緒を見立てた「八幡神のへそ石」と呼ばれる石が洞窟入口に祭られている)、この洞窟(神功皇后)に数時間籠ることで新しく生まれ変わる胎内儀礼が江戸時代辺りまで行われていたそうだ。
胎内儀礼をして那智熊野座神社と金峰山にある蔵王権現を参拝する定型コースがあったとか。
熊本地震で本殿が倒壊していたが再建された。
〇再降臨の地の伝承の真偽神皇正統記・本朝通記・公事根源・肥後国誌など複数の記録に記述がある。
最も有名な神皇正統記を書いた北畠親房は後醍醐天皇の大納言をしていた教養人ではあるが、南北朝の対立という背景から作られた歴史を勘ぐってしまうのは自分だけだろうか。
菱形池というものは宇佐神宮の敷地内にもあり、他にも宇佐にある亀山も別名菱形山であり、そういう意味でも後付け感を感じてしまう。
付近にある那智熊野座神社は菊池氏六代隆直による勧請であり菊池氏と縁の深かったが、壇ノ浦の戦いの後はこの一帯を大分の大友氏に奪われ円台寺が発展していることを考えると、南北朝の時代にこの地を取り戻した菊池氏ら南朝方が大分の宇佐八幡等の信仰を排除せず逆に取り込む意図で再降臨の伝承を作ったのではないだろうか?
絶対に行くべき神社です。
由緒有るパワースポットです。
熊本地震で、本殿、拝殿が損壊し現在は、背後の大きな岩崖に洞窟様の中に注連縄が施されていました。
八幡宮の始まりとの由緒書きがあります。
ここは、故郷です。
町民皆さんの誇りです。
ここには、大きな石の鳥居が、そして、石の狛犬が、、、高い石段を上ると、歴史を想像させる社が、そのわきには、大きな夫婦杉が、、、社の後ろには、深い洞穴が、、、子供のころには、洞穴にろうそくの火を灯し探検をしたものでした、、、が、先の熊本大地震で、もろくも崩れ落ちてしまいました。
鎌倉時代に、栄えた村だったようです。
帰省して、、、悲しいものをみてしまいました。
でも、町民の方々は、お元気でした。
そのようにしか、見えませんでした。
写真は、震災以前のものです。
熊本地震の影響で、本殿は解体され更地になり、鳥居も損傷して、御神木の大きな杉だけが変わらず残ってました。
名前 |
菱形八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト |
https://jinmyocho.jpn.org/jinja/11_kumamoto_kumamoto/1795/1795.html |
評価 |
4.3 |
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何か不思議な感じの神社で、裏に洞窟のようなものまで、歴史を感じさせてくれる場所でした。