西国坂東秩父供養塔の特徴
名前 |
西国坂東秩父供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
古くからお住まいの方の門脇にご鎮座坂東秩父参りは珍しくはないですが、西国までの3札所参りまでを終えているというのは、すごいことですよね。
碑銘は流れるようなくずし字なので、ぱっと見で読み取ることができないのですが、内容を読み取れると実は大変なことをコンプリートされている。
年号は次に確認してまいりますが、それでも江戸中期以降のことでしょうから、それなりの財がなければ不可能なことです。
野田市の資料では、豪農の栗原喜三郎さんらが文久年間に伊勢お伊勢参りを記録した旅行記が存在するようです。
徒歩・馬・船を駆使しても往復4か月も掛かったそうで。
この供養塔にも同じような背景があるはずです。
涅槃に渡る前にお伊勢参り、とか金毘羅参り、とかが当時の方々の生涯の目標であったようなことを聞いたことがあります。
今はこうしてグーグルマップで地元はもとより、日本、果ては地球全天球を概観し、その距離感をビジュアルで感得できるわたくし共には、なあんだ、ということで済んでしまうところです。
そのため往時の生活上の諸々のご苦労は、ほとんど心に響いては来ません。
現代とは生活環境が大きく違うのでやむを得ないのですが、しかし当時の方々には、まさに命がけの距離であったのです。
現場は細いわき道、公道というよりも私道沿い、住宅入り口、というシチュエーション、ぽつねんとひとりお立ちになっている、当然なかなか目にはつきません。
が、そんなひとつの石碑には、現代のわたくし共には想像すらできない、壮大な背景がある、というのは大げさですかね(笑)