熊本で最古の石橋と云われてますよ!
豊岡眼鏡橋(西南戦争激戦地) / / .
熊本で最古の石橋と云われてますよ!橋の上からは、田原坂が見えましたよ!1の坂の桜🌸が見えましたよ!官軍の兵士達が、此の場所に集結して、高低差60メートルほどの山を眺めた時は、西南戦争最大の激戦地になるとは、想像もつかなかった事でしょう!!
日本史上、最後の内戦、西南戦争で激戦地となった田原坂に向かう入り口となる橋です。
官軍が物資や武器を運ぶのに使われた橋です。
今は隣に新橋が架けられて、車は通れなくなってます。
人は歩いて渡れます。
何気にいつも通りすぎていた県道31号線の片隅に、熊本県最古の石橋があった。
この橋は、西南戦争の激戦地田原坂への登り口にあたっていて、過ぐる明治10年に、官軍の将兵はここから田原坂へ向かって出撃して行ったのである。
その多くは生きて戻ってはこなかった。
晩秋の穏やかな日射しの中、僕は二つの歴史の重みを確かに感じていた。
田原坂 一ノ坂の麓にあるこの石橋を訪れた男は、土砂降りの雨の中、150年前のあの戦いに想いを巡らせていた。
この小さな橋を官軍がぞろぞろと渡っていたのだろうか。
今となっては戦争遺構として知られているが、もともとは土地の人々の暮らしのためにあった橋だ。
男は悲しい歴史を持つ橋を眺めていた。
現在のバイパスが通る前まで(1987年頃)は、普通に車で通っていました。
歴史ある石橋だったとは。
幅5m×長さ10mほどの小さな橋。
享和2年(1802年)の江戸時代後期に造られた熊本県内で最古の橋。
グーグルマップと植木町商工会&FFGの旗がなければ、見落としてしまいそうなさりげなさだが、西南戦争時に、官軍の物資の輸送や戦闘の出陣場所として、歴史的に意味ある場所と戦前の原風景にもどったのどかな田園風景とのギャップに、感慨深いものがある。
亭和2年(1802)に架けられた石橋、いろいろな形や色の楔石が使われているのがわかります。
(投稿写真) この先に田原坂攻撃の官軍第一線陣地があったとのことです。
幅5m×長さ10mほどの小さな橋。
享和2年(1802年)の江戸時代後期に造られた熊本県内で最古の橋。
グーグルマップと植木町商工会&FFGの旗がなければ、見落としてしまいそうなさりげなさだが、西南戦争時に、官軍の物資の輸送や戦闘の出陣場所として、歴史的に意味ある場所と戦前の原風景にもどったのどかな田園風景とのギャップに、感慨深いものがある。
およそ200年前からある、西南戦争での物資輸送にも使われた石橋です。
横から見ると楔石が打ち込まれているのがわかると思います。
名前 |
豊岡眼鏡橋(西南戦争激戦地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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田原坂を降りたところにある橋で、西南戦争当時もあったという事で撮影しました。
但し今は車両の通行は出来ません。