元弘の変の際に楠木正成と共に後醍醐帝を支え挙兵した...
建武の新政の英雄『桜山茲俊』が築いた城です。
時代が中世ですので、石垣などはありませんが、切岸や郭のあと、櫓台の跡など、縄張り図を見ながら見て回るとかなり見ごたえがあります。
一見低い丘陵地ですが、直角に切り立たせている切岸や、3メートル程度の高さで段々に構える郭の構造など実戦向きの強固なつくりの城です。
おそらく、築城当初からこのようなつくりではなく、後に長い月日のうちに改変されより強固になっていたのでしょう。
堀切などは分かりにくいですが主郭辺りは素晴らしいです。
国の史跡になる櫻山城跡地です。
主郭の切岸がはっきり残っています。
主郭の中でも一段と高くなった所が櫓跡らしいです。
名前 |
櫻山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0847-52-4882 |
住所 |
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評価 |
4.8 |
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元弘の変の際に楠木正成と共に後醍醐帝を支え挙兵した櫻山四郎入道茲俊が築城した城です。
櫻山茲俊は瞬く間に備後半国を従え備中進出を企てる中、笠置山の後醍醐帝がつかまり、楠木軍が逃亡し、楠木正成が討ち死にしたとのうわさが流れたため、味方が離散し一族二十数名が残るだけとなってしまい吉備津神社に火をかけ自害して果てたとされています。
また、南北朝末期には足利直冬(ただふゆ)が山陰の雄である山名氏と共に、鞆の浦を目指し南下して来た際に、宮兼信が周辺の豪族の多くが直冬党に寝返る中で、この城に立て籠もり、備後宮内合戦を行い直冬を追い払う活躍をしています。
このように南北朝時代に歴史の表舞台として活躍の場になったのが櫻山城です。
国の指定史跡に指定されています。