御朱印有難うございましたm(_ _)m
令和2年11月22日参拝御朱印あり祭神:景行天皇、御刀媛尊、豊国別尊旧社格:村社承平三年(933年)に建立されたとされる神社。
御朱印いただきました。
ありがとうございます。
御朱印有難うございましたm(_ _)m
名石(めいし)神社と読むらしい。
九州巡行中の景行天皇を追って日向から妃の美波迦斯毘売(御刀媛、ミハカシヒメ)と12人の女官が来たが景行天皇は既に帰った後であった。
嘆いた妃は帝より賜った瑞玉(ずいぎょく)を陸に祭るように残し、女官らと共に身を投げた。
そこで出来たのかがこの名石神社とされる。
景行天皇がいつの時代かは不明だが400~500年頃ではないだろうか?933年、この地の子供が海で遊んでいると「我は景行天皇妃で女石大明神である」と神託があったので海中の大石を妃のご神体として祭ったのが女石大明神であるとされる。
昭和48年に海岸一帯で大規模な埋め立て工事を行った時にこの28tの女石大明神は引き上げられこの名石神社に祭られるようになった。
北に1kmほどのところに十二石神社があるがそちらには石になったとされる12人の女官が祭られている。
十二石神社を名石神社の元宮とする書籍もあった。
ここの地名「腹赤」も、景行天皇が長渚浜(現長洲町)で吉備の朝勝見がニベという腹の赤い魚を釣るのを見たという伝承が由来とされる。
また、景行天皇は火(肥)国から高来県(島原半島)を経由して長渚浜に停泊し行宮を置いたとされる。
この後、景行天皇は玉名大神宮・大宮神社・八島を経由して阿蘇に向かったとされる。
神主さんの話が面白い。
社伝では、日向御刀媛(ひむかのみはかしびめ)が景行天皇のあとを追って、長洲に来たものの既に天皇は発った後で、女官と共に海に身を投げて石になり、ここに祀られていると伝えられる。
景行天皇13年、天皇が九州遠征で襲(そ)の国を平定したとき,めされて妃となる。
日向国造(ひむかのくにのみやつこ)の祖となった豊国別(とよくにわけの)皇子を生んだ。
景行天皇にまつわる伝承が残る神社です。
名前 |
名石神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0968-78-0037 |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
長洲にこんな場所が有ったとは気付きませんでした。
長洲の神社は鳥居が全て海の方角を向いているとの事。
ここもそのようでした。
隣の宮司さん宅で御朱印をいただけます。
とても良くしてくださりますよ。