周辺は紅葉が綺麗で句碑横から見る五重塔の眺めも京都...
開山堂[蓮華院誕生寺奥之院] / / / .
どでかいお寺だよ😆
開山堂は、奥之院を開山した故川原是信大僧正が祀られています。
川原是信は、昭和4年、荒尾で霊能者として祈祷所を営んでいました。
旧浄光寺跡の一帯はその頃は寒村で、数軒の人家や畑があるだけで、残りは雑木林や竹林などに覆われた藪になっていましたが、子供たちが藪に入って遊ぶと腹痛を起こし女性が中に入ると眼病を患うなど、こうした現象に村人たちは荒神様がいるとして怖れていました。
そこで村人たちは是信の祈祷力を聞きつけて、その祈祷力で地霊を鎮めることを依頼しました。
12月10日早朝、村人から請われるままに、是信が浄光寺跡地の草堂で読経をしていると、突然皇円から「我は今より760年前、遠州桜ケ池に龍身入定せし阿闍梨皇円なり。
今心願成就せるをもって、汝にその功徳を授く。
よって今から蓮華院を再興し衆生済度をはかれ。
」との霊告を受けました。
そのとき34歳だった是信は、皇円という名も桜ヶ池の存在も知らなかったが、このただならぬ霊告によりすぐさま寺の再興に取り掛かり、翌昭和5年3月には村人の協力を得て、小さな本堂が建設されました。
これが浄光寺蓮華院再興の第一歩で、これ以降、貫主堂である阿闍梨堂、食堂、男女の参籠所などが建てられ、寺院としての形を徐々に整えていきました。
そして再興された寺の名は浄光寺とせず、皇円の生誕地の寺ということで蓮華院誕生寺としました。
その後、この小さかった本堂は昭和25年(1950年)には、大願堂と名付けられた新本堂に姿を変え、さらにこの大願堂も昭和41年(1966年)にはRC造の本格的本堂として建て変えられて今日に至っています。
このように是信は皇円の霊告に従って、蓮華院の再興に力を注ぎながら、同時にその天才的な霊能、激しい修行、そして皇円の功徳力により、密教行者として霊力をますます強め、衆生済度を行ない、そのため信者は全国に増えていきました。
昭和52年(1977年)、第1世の是信の死後、第2世には川原真如が住職に就任しました。
翌昭和53年(1978年)11月3日には、是信が発願した奥之院が小岱山中に落慶し、信者のみならず一般の人にも蓮華院の信仰を広めていくこととなりました。
大梵鐘は迫力。
小岱山の中腹から荒尾、大牟田を眺めるのは絶景。
名前 |
開山堂[蓮華院誕生寺奥之院] |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0968-74-3533 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
開山堂、周辺は紅葉が綺麗で句碑横から見る五重塔の眺めも京都の秋みたいな光景です。