断りを入れてから入らなけばならない。
ここは南高貨物自動車(株)の敷地内なので、断りを入れてから入らなけばならない。
自分の場合は声をかけてくださり、案内していただけました。
「肥前の熊」ここに散る。
現在この地に立って両軍6万とも云われる激戦を想像することはできませんが、こうして碑を保存して頂けることが何よりありがたいです。
ここは、現在個人の所有地の中ですので許可をもらって入りましょう。
1584年肥前島原半島で勃発した戦いで、龍造寺隆信と有馬晴信・島津家久の合戦になった場所です。
龍造寺軍の兵力は57000名に対し有馬晴信・島津家久の連合軍は1万名と圧倒的に差がありました。
有馬・島津軍は泥田と湿地帯を縦貫するこの沖田綴に龍造寺軍を引き込み戦いました。
この合戦で龍造寺軍は敗退し、隆信は首を落とされることになります。
龍造寺隆信の最期の地。
しかしまるで隠すように存在しているのは、武力で臣従を迫った龍造寺隆信を今でも島原人が忌むべき存在と思っているからだろうか…。
島津軍と龍造寺軍との戦い。
戦国時代九州最強は島津でしてが、家族や家臣や領地領民を守るため凌ぎを削ったことはいうまでもありません。
無秩序の中上記のものを守るため必死で生きたことと思います。
名前 |
沖田畷古戦場跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
企業の敷地内にあるので、入る時は声掛けしてからですね。
当時は有明海の干潟エリアと繋がった湿地帯だったようです。