坂本龍馬も通った豊前街道。
湯谷柳川領境界石(筑肥国境)の特徴
藩政時代の貴重な民族資料としての石標です。
坂本龍馬が通過した歴史的な往来の一部です。
豊前街道の重要な境界石が存在しています。
豊前街道、坂本龍馬先生が八女を抜けて太宰府にいく際に通ったと書物に記してあります。
豊前街道(参勤交代道)肥後・筑後の国境の境界石。
彫られた文字が重厚です。
下を流れる小川が境界です。
福岡県側(大牟田市)、熊本県側(南関町)それぞれに説明板が設置されています。
さすが国(県)境です。
名前 |
湯谷柳川領境界石(筑肥国境) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
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藩政時代の貴重な民族資料となる石標です。
この石標の場所は以前、知人宅に行く際に車で何度も通っていますが、興味がなく今回初めて石標の意味を知りました。
狭い交差点で駐車場はありません。
少し広い路肩を見つけ停めました。
思ったより車の通行が多いので見学の際は十分注意して下さいね!以下長くなりますが説明板の内容です。
〜❁〜❁〜❁〜❁〜❁〜❁〜県指定有形民族財湯谷柳川領境界石(ゆたにやながわりょうきょうかいせき)「所在」大牟田市大字四ケ字湯谷「指定」昭和38年1月16日ここにある新旧2本の境界石は、江戸時代に筑後柳河領と肥後熊本領の国境を示すために建てられたものです。
古い方は江戸時代初期に建てられたものと思われ1辺36cmの四角柱の花崗岩で作られています。
3つに折れて中段と下段だけが残っており現在高は3mです。
表面の文字は読みにくなっていますが、次のように判読できます。
「(従是西)北筑後国立花(左近将監)領内、柳河札ヨリ是迄四里二十町余」( )内は推定新しい方は、古いほうが折れたため江戸時代末期に取り替えられたものと思われます。
一辺35cm、高さ3.7mの良質砂岩の四角柱材で作られています。
表面には肉太の文字で次のように刻まれています。
「従是西北筑後国柳河領従柳河札辻四里二十町余」