3年に1度の本祭では少し前倒しして金土日の3日間。
綺麗に整備された神社です。
境内には身代わり地蔵尊も祀られてました。
東京都江東区千田に鎮座する宇迦八幡宮の直書き御朱印を頂きに参拝しました。
江戸時代、この辺りは元々干潟であったが、江戸市中の塵芥や開発残土が持ち込まれ埋め立てられていった。
そして亨保年間(1720年)。
近江商人の千田庄兵衛と井籠屋萬蔵がこの地に至り、八代将軍吉宗公に願い出、3年を費やして村造りを行った。
そして開発された村は、千田庄兵衛の名をとって武蔵野国南葛飾郡千田新田と名付けられた。
後に寛政9年。
村全体が一橋家の領家となったので一橋領十万坪とも称した。
その開発当時、この宇迦八幡宮はまだ小さな祠であったが、千田庄兵衛は敬神の念篤く、神殿を造り千田神社と称し土地の産土神として崇められたそうである。
そして元々が干潟の埋め立て地ということで、なかなか土地に穀物が実らない事を嘆き、神社に祈願を籠めた際に神霊のお告げを受け、片栗を栽培して農民の飢餓を救ったという古い伝説の故をもって、片栗八幡宮とも称するそうです。
御朱印は拝殿右手の社務所兼宮司宅の呼び鈴を押せばご対応くださいます。
最寄り駅は東京メトロ半蔵門線、都営新宿線の住吉駅です。
御朱印をいただこうと社務所に行くも窓はしまっている。
仕方なくチャイムを押して、30秒くらいして帰ろうと思ったときに、来ていただき御朱印対応していただきました。
ありがとうございます。
行った時は単管が骨組みになってましたねっ何か有るのでしょうか(´◉ ω ◉`)?掃除してる人に写真撮っていいのか聞いて撮影しましたね📸落ち葉が沢山あったのを見て、ここは木が盛んなのかと思いました(´-`).。oO(今度は工事後に着たいですぅ。
宇迦八幡宮。
都営地下鉄新宿線、東京メトロ半蔵門線住吉駅から徒歩で15分ほど。
茅の輪がありました。
社務所で御朱印を頂きました。
手水舎に龍とアンパンマンとバイキンマンも🎵
猛暑でしたが境内は涼しげで、洗われるような深緑がとても気持ちよかったです。
とても丁寧に対応いただきました。
宇迦八幡は八代将軍吉宗がこの辺りに鷹狩りに来たとき、残した矢の根を御神体としたと伝わります。
戦前までは千田稲荷神社と称していましたが、戦後に宇迦八幡宮と改めました。
有り難く、”宇迦八幡宮”の御朱印を頂きました。
下町の住宅地に鎮座する素敵な神社でした。
お忙しくされていたのに快くご朱印を対応してくださいました。
ありがとうございました。
地元の信仰を集め愛されている神社。
良い雰囲気の神社です。
町の鎮守様かな。
銀杏の大木から葉っぱがザーッと降り注ぐ姿は感動もんでした。
千田庄兵衛さんも祀られてます。
例大祭は通年8月16日固定と決まっているのだが、3年に1度の本祭では少し前倒しして金土日の3日間。
本年がそれに当たり、深川神明宮と同日開催されていた。
日程についてのネット情報が無く、富岡八幡に寄る序でにチョイと準備でも見ておくかと来てみたら既に終わってた。
宇迦八幡と云うからには稲荷と八幡だが、どっちが主だろうかと伺ったら稲荷だそうで。
2年前の今日は八幡専用の御朱印帳に記帳して頂いたが、そう云う事なので今回は稲荷専用の御朱印帳に記帳して頂いた。
猿江神社に寄る為に持って来ていたので幸運だった。
享保年間(1716~1736年)創建。
当時付近は干潟であり、1723年に新地開発が行われた。
その後千田庄兵衛が社殿を造営し、千田稲荷神社と称し新田の鎮守となった。
不作時に神託より片栗を栽培し飢餓から救われた為、片栗八幡宮とも称された。
境内には石造六角宝塔と身代わり地蔵尊が安置されている。
御朱印有(書き置きのみです)
(17/09/07) 御朱印(カラーコピー)をいただきました。
書き置きの御朱印しかないと言われたがただのコピーだった。
せめて御朱印は押して欲しかった。
むなしい。
毎年桜がキレイに咲いています。
散り行く花びらが境内いっぱいに広がっていてとても綺麗でした。
にわざわざ桜の名所に行かなくても、堪能できる美しさがあります✨
17時過ぎに行ったらお賽銭の回収をしていて萎えました。
まだ参拝者が居るかもしれない時間よりも、もう少し遅い時間にすれば良いのに...と思いました。
名前 |
宇迦八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3644-5043 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
ゴールデンウィークに一休み。
静かな境内で初夏の佇まいを感じる。
鳥の囀りを聴きにながらひと時。
お忙しい中、御朱印を頂きました。
2種類から選べました。
境内に相撲部屋の土俵が有り、奉納されるのでしょうか。
楽しみです。