三国志魏志倭人伝では248年卑弥呼が亡くなり百歩の...
三国志魏志倭人伝では248年卑弥呼が亡くなり百歩の円墳作り104人の奴隷が追従したようです、山門国?糸島市に監察官を置いて九州の北の国々を観察させて居たと魏志倭人伝に書いてあるようです、
藤原様がお書きになったように、魏志倭人伝を最初から正確に読み解くと、その地域一帯が、邪馬台国であると思うのですが。
大きな古墳です。
この古墳は円墳で地元の人は卑弥呼の古墳と信じています。
周辺の地下には甕棺が数多く埋まっているそうです。
また、この近くにはごこうのみやという謎めいた宮があり、驚くことに奈良石上神宮にある七支刀を持った土人形が保存されています。
5世紀頃築造された二段築成の円墳だそうだ。
西鉄大牟田線沿に大善寺地区があり、そこにも同名の大型円墳があるのをもうご存じではあろう。
この円墳の径は55mだが、当該古墳の径は45mを測るものである。
これも大型円墳であることは間違いあるまい。
案内は無いが、こうして説明看板だけでもあるのは有難い方ではないかな。
この地域を山門郡と書いて「やまと」と読ませるものだからこの地域を邪馬台国に比定する者まで現れたことは賢明なる読者諸氏であれば既にご存じなのかもしれないな。
名前 |
権現塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
田んぼの真ん中に、いきなり現れる小高い丘。
場所や時代から卑弥呼の墓という説もあるようだけど、邪馬台国は連合国家だったわけで、当時この地を治めた豪族の墓なのではと、勝手に推測。