神功皇后が敵対勢力を追い詰めた場所です。
いわゆる「龍神石」遺跡として現在確認されているのは全国で十三カ所あり、その一つが女山龍神石です。
邪馬台国と関連づけられた霊域接、山城説等論議されてきたが最近の調査によって、山城遺構の一部で七世紀頃に築造されたものと判断される。
列石は防壁としての土塁を築く部分に土留根石を配石したものであり、水門は谷間を防ぐための石塁施設である。
列石の推定全長は約3キロメートルに及び、水門後が産女谷、源吾谷、長谷、粥餅谷の四カ所で確認されている。
列石の内側には当然山城関係の施設があったであろうが現在のところ確認されていないとのことです。
高良山にもあります。
歴史探索が好きな方にはトレッキングしながら見学をすると良いかと思います。
由来などの説明があったらより良い。
竹の道は、圧巻🤣
3才なりたての息子と歌いながら楽しく登れました。
展望台からの景色もきれいで、新幹線が通るのも見えて、息子は大喜びでした!
お散歩にちょうど良い。
展望台からの見晴らしも素晴らしい。
紅葉も綺麗でした。
神功皇后が敵対勢力を追い詰めた場所です。
展望台からの景色は予想以上に素敵です。
神功皇后側の動きが、手に取る様に見えていたはずです。
神籠石は、大きさが揃えられた石が隙間無く建てられており、戦国時代の石垣より石の加工手間がかかっているように感じました。
この史跡の範囲は結構広い。
地理院地図の示す位置にマークを移動するように修正申請した。
瀬高町のこの辺の場所は神功皇后時代の田油津姫終焉の地となる。
近くの老松宮にかつては女王塚と呼ばれた埋葬否定地がある。
小山田斎宮で暗殺に失敗した田油津姫はこの女山に籠ったという。
熊襲だろうか支える基盤があった事になる。
一方朝倉で熊鷲を討った皇后軍は道中各地に伝承を残しながらこの地まで進軍して田油津姫を討った。
兄の夏羽は田川から援護に向かっていたが討伐されるのを知ると引き返し追ってきた皇后軍に討伐された。
また二世代前の景行天皇はまつろわぬこの地の女王葛築目を討伐したという。
様々な観点から重要な地であった事が伺えるが、展望台までいって眺める景色は思いのほか素晴らしい。
難点をいえば水門なども見たかったが案内が総合的にわかりずらい。
もう少し初来訪でもわかりやすい工夫が必要と感じた。
(時間の都合上諦めたが、帰りに別ルートから直通できるような看板を見かけた)
九州王朝の都だった太宰府を二重、三重に守った山城の一つだ。
神籠石の上に砦の様な城があったと考えられている。
矢部川と一体となって有明海や大牟田から攻めて来る敵を防いだ。
ここを破られたら、高良山と上荒木の堤で守っている。
基山には城と基山駅近くに堤を作って一体となって守った。
最後は西鉄筑紫駅近くに太宰府をぐるっと一周して守った大きい土塁があった。
太宰府が、遠の朝廷と言われるのは大和朝廷の本家が九州王朝だったからだ。
日本書紀の神武天皇の所に分家の証拠が書いてある。
「歳十五にして太子となる」と。
皇太子になって、新しい王朝を開いたということは、本家では無かったことを意味する。
だから九州から近畿に行ったのだ。
大和朝廷が、中国に認知されるのは唐になってからだ。
年号も701年の大宝元年から平成まで続いている。
大化、朱雀、白鳳という年号は、九州王朝の年号だ、中国は、許可した国しか年号は作らせなかった。
邪馬台国が近畿にあるはずが無い。
唐以前の日本について書かれた国は、全て九州王朝のことだからだ。
邪馬台国の武器について魏志倭人伝には、「矛・楯・木弓を使う」と書いている。
この出土状況を見ると西日本だから間違いなく九州王朝だった。
遣隋使を派遣した国もそうだ。
答礼使が来て阿蘇山の噴火を書いているから、間違いない。
阿蘇山は熊本にしかない。
なかなか、景色もよくウォーキングに最適なコースです。
実際 歩いて観ましたが 卑弥呼の 一かけらも感じられませんでした。
残念でした。
ここ一帯の地域は弥生時代に邪馬台国があって、女王卑弥呼が住んでいた説もあり、女山と書いて、ぞやまと呼びます。
昔は女王山と呼んでいたそうです。
6世紀頃、朝鮮半島で倭国 当時の日本のクニが増援した戦いに敗れた事から朝鮮からの侵攻に備えて神籠石は作られた古代山城の構築物だとも考えられています。
同時代、太宰府の水城も同じく侵攻を防ぐための目的で作られた防衛のための構築物です。
久留米市の高良山にも同じ様に巨石で作られた神籠石があり、こちらも同時代古代の山城ではと言われています。
神籠石がある瀬高町の住所はみやま市になりましたが、市町村合併前は山門郡 やまとぐん でした,邪馬台の地名が山門 やまと として残り、弥生時代が終わり、古墳時代から飛鳥時代当時の国の政権中心となった奈良県の大和やまと がこの地名を引き継いだ《権力の中心が九州から東へ移る》との説もあります。
女山神籠石公園の頂上付近に丸太で作られた展望台があり、南は雲仙普賢岳、西は有明海、北は背振山方面吉野ヶ里が望め、この眼下に広がる広大な平野を見ていると、弥生時代の稲作や海の幸や山の幸で繁栄した邪馬台国の姿を想像してしまいます。
久留米の高良山やここ女山が当時のクニの重要な拠点だった事が良く理解できます。
ここ女山には古代日本建国の地としての魅力とロマンであふれた土地です。
是非、訪れたい卑弥呼の故郷です。
名前 |
女山神籠石 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://kyushuolle.welcomekyushu.jp/courses/detail/21ab5ca4-8d00-4502-90e0-cb928217941b |
評価 |
3.6 |
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有明海が眺望できて大変見晴らしが良いところです。