建物が立派に建て替わっていました。
古墳時代に九州で強大な勢力を誇った磐井の君が造った岩戸山古墳の近くにある芝生の広場で、当時は儀式や裁判が行われていたという。
レプリカとはいえ、並べられている石人石馬の数々がなんとも生々しく感じられ、在りし日々を偲ぶことができる。
当たり前だが、広い芝生だからといって野球やサッカーといった球技で遊ぶことは禁止されている。
念のためw
八女市岩戸山歴史文化交流館から階段を上がって道なりに進んで行くと大きな広場が現れます。
このスペースは『別区』と呼ばれ、奥の方には石人・石馬が並んでいるのが見えますが、これはレプリカで、本物は「岩戸山古墳文化交流館 いわいの郷」に展示されています。
別区とは約43メートルの正方形になった台地です。
『磐井の乱』(527年)後、約200年を経た奈良時代につくられた筑後国風土記に、この別区のことが次のように記されています。
『東北の角に当たりて一つの別区あり、号けて衙頭(がいとうとは政所なり)いう。
前に一人ありて、裸形にして地に伏せり。
号けて偸人(ぬすびと)という。
(生けりしとき、猪を偸みき。
仍りて罪を決められむとす)側に石猪四頭有り。
贓物と号く。
(贓物とは盗物なり)彼の処に亦石馬三疋、石殿三間、石蔵二間有り。
』すなわち盗人が猪4頭を盗んでその罪を裁かれる状況と解釈されるような石製品配置がなされたところがこの『別区』であり、また『別区』は祭儀の場所であったと考えられています。
全国の古墳の中でこのような『別区』を有し明確に現代まで残っているのは、ここ岩戸山古墳だけです。
思ってたより広いですね。
犬の散歩してる方がいました。
古代の歴史に思いを馳せるゆったりとした空間。
岩戸山古墳の北東隅にあり、一辺43m、の方形の区画です。
ここからは、一般に石人・石馬と言われる特有の石製品が100点以上見つかっています。
その数、種類は他の古墳を圧倒し、人物・動物・器材に大別することができます。
年代は6世紀前半で、岩戸山古墳と同時期のものです。
20年前に行ったときより、建物が立派に建て替わっていました。
高倉作りの模造建物もありました。
公園には変わらず石人が立っていました。
資料館前は、磐井の君の石像が、迎えてくれます。
名前 |
岩戸山古墳別区 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.yame.fukuoka.jp/iwatoyama/onnseiannnai/iwatoyama/1485905711261.html |
評価 |
3.7 |
磐井の乱と聞くと、ヤマトに対して反乱を起こしたよからぬ集団とのイメージを持ちますが、朝鮮半島との交流もあり、クニとしてまだまだ未成熟なヤマトに、北九州の豪族がリスクを冒してまでヤマトに従う選択が出来たかのか?万が一、磐井が勝利するようなことがあったらどうなっていたのか。
いろいろ考えさせられる場所です。
この地は、奈良時代に別区として保護されていたというところに、救いを感じます。