天明年間(1781~1788)に水田に水を引く作業...
あくまでも推定地です。
《北九州主要王墓の年代》井原鑓溝遺跡(=AD30年頃)この遺跡は、天明年間(1781~1788)に水田に水を引く作業中に発見された。
このときの出土品は全て散逸したが、記録が残っており、その全貌を知ることが出来る。
出土したのは甕棺墓一基で、その中に、破砕された後漢鏡21面以上、日本製の巴形銅器3個の他、『鎧の板の如きもの』、『刀剣の類』などが副葬されていた。
巴形銅器は、その鋳型が吉野ヶ里から出土して注目を集めた。
その後、記録を整理し、27の漢鏡片から18面の鏡を復元された。
それによると、これらは全て方格規矩四神鏡で、面径は12.3cmから17.6cmの中型鏡であった。
漢鏡四期に分類され、後漢代の鏡が含まれないこと、形式がまとまっていることなどから、岡村氏は、王莽代に一括して入手された鏡群であるとみており、暦年代としてはAD30年頃と推定。
この年代は三雲の王墓とは、数世代の差があると思われる。
@古代史の復元より。
名前 |
井原鑓溝遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/140/020/itohakudown2.html |
評価 |
3.6 |
説明板のみ。