筑紫富士を背に支石墓探訪。
志登支石墓群の特徴
筑紫富士可也山を背にした歴史を感じる場所です。
古代の面影が残る支石墓に埋葬された被葬者の歴史が興味深いです。
田んぼと畑に囲まれた静かな環境で散策が楽しめます。
支石墓(しせきぼ)と読みます。
九州の一部では『ドルメン』とも言われています。
車ではわかりにくいところにあります。
あまり広くはありませんが、かつての伊都国の歴史を感じる遺跡です。
周辺に駐車場はありません。
波多江駅か、筑前前原駅北口から、昭和バス『九大東ゲート』行きに乗り『東風(はるかぜ)小学校前』バス停が最寄りです。
志登(しと)のバス停もあるのですが、ほとんどのバスが東風小学校前経由で志登を経由するバスは少ないようです。
TVで紹介されていたのでサイクリングの目的地として訪れました。
田圃に囲まれ可也山もよく見え、長閑なところです。
筑紫富士「可也山」をバックに弥生時代の面影を残す貴重な史跡です。
田んぼの真ん中に静かに佇んでいます。
風の音や虫の鳴き声は弥生時代当時のままかもしれません。
縄文時代から弥生時代に移ろい墓制や稲作・金属器の使用など、人々の生活に確実に変化が起きたことを示す重要な場所をぜひ一度訪れてみてください。
周辺が完全にノンと目に触れるしない帯び触れると見えるところ。
(原文)주변이 전부 논이라 눈에안띈다하면 안띄고 띈다하면 띄는 곳.
ここに立ち、広い空と可也山を眺めるのが好きです。
支石墓に埋葬された方々もこの景色をみていたのでしょうね。
田んぼの中にポツンとあるって感じでしょうか。
比較的よく残っていました。
周りは畑ですねw
古代、伊都と志摩が唯一繋がっていた場所にあるドルメン。
ある日、散歩に今まで歩かない場所、川土手を歩いていて、見つけた史跡でした。
史跡があるのは知ってはいたものの、意外と近い場所にあったことに驚きでした。
畑の中にぽつんとありました。
HPよりこの遺跡は糸島市北部の田園地帯、標高約3mの低地にある墓地群です。
発掘調査は戦後間もない昭和28年(1953)に行われ、わが国における支石墓研究の貴重な1ページを飾ることとなった著名な遺跡です。
調査では、弥生早期から中期(約2500~2100年前)にかけての支石墓10基、甕棺墓8基などが発見されており、支石墓のうち4基が調査されました。
支石墓とは遺体を埋葬した上に大きな上石を置くお墓です。
元々は朝鮮半島によく見られるお墓ですが、弥生時代の始まった頃に日本にその作り方が伝えられました。
上石は花崗岩や玄武岩を使用し、大きいものは長さ約200cm、幅約150cm、厚さ約60cmにも及びます。
埋葬施設は素掘りの穴(土壙)や木棺であったと考えられます。
副葬品として6号支石墓から打製石鏃6点、8号支石墓から柳葉形磨製石鏃4点が出土しています。
支石墓は弥生早期から前期(約2500~2200年前)に造られたと考えられます。
支石墓に副葬品が納められるのは非常に珍しく、特に柳葉形磨製石鏃の出土は朝鮮半島との交流を物語る貴重な資料です。
しせいぼ亀甲状の石、扁平な石を架した埋葬施設。
名前 |
志登支石墓群 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/110/130/shito-bogun.html |
評価 |
3.5 |
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支石墓(つまり天井石で覆われている)に埋葬された被葬者と甕棺墓で直に埋葬された被葬者の相違は、何処から生じたのか?埋葬時期の違いなのか、身分の違いなのか?興味深い。