お天気良く最高景観の飯盛山稜線でした。
広い公園になっていて遺跡というよりはみんなの憩いの場という感じだった。
綺麗に整備されてます。
国史跡吉武高木遺跡はやよいの風公園として整備されています。
200基以上の甕棺墓群のほか、日本最初の三種の神器と推される銅鏡、青銅製武器、勾玉がセットで副葬された有力者たちの墓「特定集団墓」は「最古の王墓」と言われます。
弥生時代の国の始まりを知るうえで特に重要な遺跡です。
説明があり勉強になりました。
道路の下や畑の下にも埋め戻した遺跡があるとのこと、もったいなく感じました。
秋桜がきれいに咲きました。
平日は気持ちよくコスモス鑑賞できます。
キレイに整備されていてとても心地の良い公園です🎵
毎年コスモスがまんかいです。
近くの公園に車をおいて鑑賞できます。
歩いて遺跡をのんびり一週反対回りにもう一週景色がよかけん気持ちよか~~~(^O^)
いにしえの人々の呼吸が感じられます。
「あっ!甕棺の中の人呼吸してませんけど。
」旧石器時代から現在まで同じゆったりとした心地の風を感じるような気がします。
犬の散歩で使用しました。
水もあるので夏の散歩にはよいです。
広くて何にもないところ。
ゆったりまったり出来ます。
わりと好きかな。
広々とした公園です。
凧揚げの人が、数人いて楽しそうでした。
何にもない原っぱなので走り放題です!家の近くではやりにくいプロペラもののおもちゃやフリスビー、サッカーができますよ。
テントやシートを用意していけば快適🎶トイレと自販機もあるので長居しても大丈夫😊今はコスモスが綺麗です!もう終わりの時期だからか摘んで帰ってOKです。
遺跡のことを知ってもらうためにイロイロと工夫を凝らしていました。
子供から大人まで興味を引く遺跡だと思います。
出来たばかりで、きれい!
現在、公園整備中でした(2016年)
《吉武高木遺跡》 吉武遺跡は、東西600m、南北1300mの範囲に及び、樋渡墳丘墓もその一部である。
吉武遺跡のある早良平野は、須久岡本遺跡群のある東の奴国と三雲南小路遺跡などがある西の伊都国の間に位置している。
地形上は飯倉丘陵により他地域とはっきり別れており、弥生時代はここに一つの“クニ”があったと見られている。
早良平野で最初に米作りが始まったのは前4世紀で、その拠点はもっと海岸よりの有田遺跡である。
この村は、長径300m、短径200mの環濠集落であったが、東の飯倉遺跡、西の野方遺跡などの村もつくられ、村同士の抗争が起こったようである。
そして、長年の抗争を経て、前一世紀ごろには吉武遺跡を残した村が優位に立ったことを樋渡墳丘墓が示している。
早良平野の“クニ”は後一世紀まで繁栄を続けたようであるが、その後は、東の奴国か西の伊都国に滅ぼされ従属的な位置にあったのであろうと考えられている。
この遺跡は武器を副葬された人物の数や武器の副葬が行なわれた期間などからすると、同時期に複数の指導者的立場の人物がいたことが推定され、武力を背景に権力が一人に集中するような状況ではなかったと考えられる。
つまり、“王”と呼べるような人物はおらず、武器とともに埋葬された人物は、その村の戦闘指揮官であろうと推定されている。
この遺跡はBC200年頃から発達したようである。
これが最初の王墓と言われている。
@古代史の復元より。
名前 |
吉武高木遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 7:00~17:00 |
関連サイト |
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/432 |
評価 |
3.6 |
お天気良く最高景観の飯盛山稜線でした。