また維新の先覚者の一人として異彩を放つ野村望東尼(...
福岡市は平尾にある幕末の史跡。
無料で山荘内や資料館を閲覧することが出来ます。
高杉晋作ゆかりの地。
晋作さんの辞世の句の下の句を詠んだ人がいたみたいですね。
幕末に活躍した勤王歌人・野村望東尼が隠居していた山荘。
筑前勤王党の隠れ家になり、全国から勤王の志士達が訪れた場所。
幕末のスター、高杉晋作も10日ほど滞在している。
園内には資料館もあり、山荘内も自由に見学できるので幕末ファンには必見のスポット。
高杉晋作ファンとしては、無料で見学出来るし最高です。
梅を見るにはちょっと遅い時期に行きましたが勉強になりました。
トイレは向かいの公園にあります。
梅の花を見ようと思って行ってみました。
梅は数本咲いてた(観梅にわざわざ行くほどの場所ではない)
幕末の女流歌人 野村望東尼が晩年を過ごした山荘です。
1864年には高杉晋作が滞在したということで訪れてみました。
建物は昭和27年に再建されたもののようですが、歴史に思いを馳せることができます。
山荘の隣には資料室もあります。
西鉄平尾駅から徒歩で約15分かかりました。
福岡市の高級住宅街の中にある幕末の史跡です。
現在は宅地となっていますが当時は山合の山村だったそうです‼️この山荘に棲む野村望東尼女史のところに平野國臣やあの高杉晋作も訪れたとのこと。
自宅から程近い史跡に感動しました‼️
野村望東尼様の偉業を勉強しました。
望東会の方々 谷川先生の説明楽しみました。
望東尼は今で言う 女性参画の先駆者見たいな人です。
清々しい気持ちに浸りました🎵
とても手入れの行き届いたキレイなところです。
落ち着きます!
女流歌人として、また維新の先覚者の一人として異彩を放つ野村望東尼(のむらぼうとうに)の閑屠地です。
54歳の時、夫を喪い、博多の曹洞宗明光寺住持元亮巨導禅師によって剃髪し、向陵院招月望東禅尼となりました。
慶応元年(1865)10月望東尼も捕えられ、姫島(糸島郡志摩町)に流されました。
幽閉11カ月、高杉晋作に救い出されて馬関に移り、さらに三田尻(防府市)に移り、慶応3年(1867)11月、62歳で没しました。
閑静な住宅街の中にある侘び寂びのある佇まい。
今は白梅と紅梅が見頃です。
梅が咲いてて、辺りに香りが漂ってます。
ベンチに座ってのんびり梅鑑賞するのもオススメ。
郷土出身の幕末の女流歌人として、また維新の先覚者の一人として異彩を放つ野村望東尼(のむらぼうとうに)の閑屠地である。
本名は「モト」といい、文化3年(1806)9月6日、黒田藩士浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として、福岡城の近傍南谷の御厩後(現在の中央区六本松三丁目付近)に生まれた。
文政12年(1829)野村新三郎貞貫(413石)の後妻となり、弘化2年(1845)貞貫とともにこの地に隠棲。
54歳の時、夫を喪い、博多の曹洞宗明光寺住持元亮巨導禅師によって剃髪し、向陵院招月望東禅尼となった。
このころから勤王の志を抱き、平野国臣、中村円太、長州の高杉晋作等を庇護した。
しかし、徳川幕府体制の維持を図る佐幕波が藩内の勢力を占め、勤王派を一網打尽に処刑するに及んで、慶応元年(1865)10月望東尼も捕えられ、姫島(糸島郡志摩町)に流された。
幽閉11カ月、高杉晋作に救い出されて馬関に移り、さらに三田尻(防府市)に移り、慶応3年(1867)11月、62歳で没した。
気持ちが落ち着く。
柵もなく公園のように開放的な場所。
茅葺を改修したそうですが、障子や畳など綺麗に管理されています。
隣には歴史資料館もあります。
無料駐車場あり。
Bisogna fermarsi, perché comunque è un luogo della memoria. Ha vissuto questa scrittrice che è una figura da ricordare e inoltre è piacevole trovare un po' di Giappone tradizionale in mezzo al Giappone moderno
名前 |
平尾山荘 |
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ジャンル |
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電話番号 |
092-711-4666 |
住所 |
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関連サイト |
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/item_id:101547 |
評価 |
4.2 |
歴史的価値も保存状態も好ましい。
駐車場もある。
ただ、見どころとしては時代背景を知らないとそれほど多いとは言えない。