中洲の南先端に在ります。
明治32年、博多誓文晴(払)の創始者漬物屋 八尋利兵衛(やひろりへい)が住吉から中洲付近まで開発し、遊園地「向島」を開園した。
その開園記念に建設された灯籠で、昭和29年清流(せいりゅう)公園内に移された。
灯籠には商屋の家号が刻まれていて、当時の博多経済界を知る上で貴重な資料です。
【2021.11月】晴天の中、散策。
風は気持ち良く昼前には高齢の方がマイスペースを楽しんでられました。
良いですね。
川では時々魚が跳ねます。
クルーズ船を陸から眺めていました。
灯籠の石に名前がひとつひとつ書いてあり、時代を飛び越えて気持ちが飛んでいきます。
明治33年(1900年)に住吉神社に寄進され、昭和29年(1954年)に現在地に移設された灯篭です。
中洲の最南端にあり、割りと周囲の景観に馴染んでいます。
キャナルシティとの違和感は、どちらかというとキャナルシティ側に原因がありそうです。
中洲の南端の清流公園に立っている立派な石灯籠。
高さ約10メートルの石灯籠は、明治32年(1899年)に博多の金山堂という漬物商・八尋利兵衛(やひろ りへい)が遊園地「向島」を建設した際に開園を記念して建てたもので、昭和29年に現在の場所に移設されました。
この石灯篭の四面には、びっしりと協賛した商店の屋号がびっしりと刻み込まれています。
現在の広告塔の走りではないでしょうか。
中洲の南端、キャナルシティから博多川に出てすぐにある清流公園に立つ櫓です。
明治32年、博多誓文払の創始者漬物屋八尋利兵衛さんが、この地域を開発し、遊園地を開園したんだそうで、その開園記念に建設された灯籠です。
その後現在の公園内に移されました。
よく見ると灯籠にはいろいれな当時のお店や商店の名前が刻まれています。
いわば広告塔という意味もあったんでしょうね。
中洲の南端、キャナルシティから博多川に出てすぐにある清流公園に立つ櫓です。
明治32年、博多誓文払の創始者漬物屋八尋利兵衛さんが、この地域を開発し、遊園地を開園したんだそうで、その開園記念に建設された灯籠です。
その後現在の公園内に移されました。
よく見ると灯籠にはいろいれな当時のお店や商店の名前が刻まれています。
いわば広告塔という意味もあったんでしょうね。
中洲の南端の清流公園に立派な石灯籠が立っています。
高さ約10メートルの石灯籠は、明治32年(1899年)に博多の金山堂という漬物商・八尋利兵衛(やひろ りへい)が遊園地「向島」を建設した際に開園を記念して建てたもので、昭和29年に現在の場所に移設されました。
この石灯篭の四面には、びっしりと協賛した商店の屋号がびっしりと刻み込まれています。
現在の広告塔の走り。
名前 |
博多町家寄進高灯篭 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.0 |
ここは昔、海辺だったのでしょうか貿易で栄えた博多の港の名残りだと思います撮影も映えるスポットです。