鎌倉初期の谷阿上人によって開山。
法事で訪問しました。
中は暖かくて良かったのですが!当たり前ですが、納骨堂は寒いので防寒対策が必要です。
お寺のサービスは金額によりますが・・商売ですから仕方ないです。
博多駅近くの仏閣が並ぶエリアです。
九州西国観音霊場。
観音堂は外に建てられています。
人魚にまつわる逸話があるようでしたが、ご住職にちょっと言い出せませんでした(^^;観音霊場に浄土宗のお寺があるのは珍しいですが、後由緒を見てみると納得です(^_^)
小さいけれど綺麗に維持されてました。
九州西国霊場三十二番札所のお寺です。
こじんまりとしていますが、三宝大荒神堂、観音堂、人魚塚と見所があります。
インターホンを押すと快く出てきて頂き、御朱印を頂きました。
800年ほど前に漁師の網に人魚がかかりこの地に埋葬された伝説があり人魚塚がありました。
期間限定のイベントで博多ライトアップウォークの博多千年煌夜で寄りました。
詳しい由来は知りませんが昔に人魚が捕まえられた話が伝説があるみたきで、珍しい人魚塚というのがありますよ。
人魚姫のように お美しいおねーさん達の「中洲💋」からすぐです。
(笑) もしかして子孫?(笑)
龍宮寺には人魚にまつわる伝説が伝わっています。
1222年、博多の漁師の網に人魚がかかりました。
約150メートルもある巨大な人魚だったそうです。
「いちおう偉か人に教えとったほうがよかやろ」と言ったかどうかはわかりませんが、人魚が上がったという事を京都の朝廷に伝えたそうです。
人魚のことを聞いた朝廷は冷泉中納言という人物を博多に派遣します。
この場所が現在の龍宮寺であると言われていて、しばらくの間、ここに滞在したようです。
ちなみに、現在の「冷泉町」の名前はこのことに由来すると言われています。
一方、博多の町は人魚が上がったということで大騒ぎになったといいます。
好奇心旺盛な博多っ子、まさかの「みんなで人魚を食べよう!」ということになったのだそうです。
しかし、食べようとしたのにはちゃんと理由があり、当時、人魚の肉を食べると800年生きることができると言われていたからだそうです。
それで 早速 食べようかとしていた時、滑り込みで(?)冷泉中納言と安倍大富という博士が到着。
安倍大富がこの人魚について占ってみると「国家長久の瑞兆なり」つまり、国が末永く続く前兆であると出たため、食べるのはやめて手厚く葬ることに決定したのだそうです。
冷泉中納言が宿泊していた龍宮寺(当時は浮御堂と言っていた)に人魚を運び、塚を作って埋葬しました。
作り変えられてはいるものの、その塚は現在でも龍宮寺に残っています。
それから時は流れ、約550年後の1780年代・・・龍宮寺で不思議な骨が出土します。
過去の記録などから考えると、これは人魚の骨ではないかと言われています。
人魚は150メートルぐらいの大きさだったわけですから、お寺の中から骨が出土したということは おおよそこれぐらいの範囲で人魚が埋まっているのではないかと考えられます。
実際、地下鉄工事の際には色々な化石や骨が出土したと言われています。
(この範囲で出土したかは不明ですが・・・)そして、福岡県青少年科学館には地下鉄工事の際に出土したものが展示されています。
もしかしたらこの中に人魚の骨が入っているのかもしれません。
寺院の街巡り1日目に行きました❗古風な寺でした、龍宮からお参りしたから年取ったかな❔古風な寺でした🙏⤴️❗
都会のビルの合間にある静けさが癒される。
本堂には、あの伝説の人魚の骨が祀られています。
博多ライトアップウォーク2017の最終日に訪れました、人魚の骨見たさに長い行列が出来てましたが、得体の知れないモノを見るためだけに並んで時間を無駄にする気にならず私はパスしました。
帰り際に山門越しに月が見えたので撮ってみました。
最近は筑前国中三十三観音霊場巡りは不人気なのでしょうか。
やられなくなるお寺が出て来ている様です。
龍宮寺も基本的には、九州西国霊場しか対応していないそうです。
但し、ご住職に事情を説明しお願いした所、本来〇番という所は朱印なのですが、手書きにて対応して頂きました。
感謝です!
鎌倉初期の谷阿上人によって開山。
人魚伝説。
九州西国霊場第32番人魚を寺内に埋葬したことにちなんで寺名を龍宮寺と改称。
名前 |
龍宮寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
092-291-1003 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
インターホンを押したら、優しいご住職いらっしゃいました。
御朱印いただきました😍