旧社格は最高等級の官幣大社。
何て清々しいお宮さんなんだろう。
来る度に思います。
昔から通わせていただいていますが、本当に大好きなお宮です。
由緒とかは詳しい方がいらっしゃるだろうから、ここでは省きますが、雰囲気がいい。
西鉄香椎宮前駅から楠が繁る参道を通ってやって来ると、空気が変わります。
賑やかな参道が嘘みたいに静かな境内です。
皇族お手植えの木や勅使の植えた木など古木が至る所にあって歴史を感じます。
緑に本殿などの朱色が映えます、ゆっくり見て、静かな時間を過ごせます。
少し離れた所にありますが、不老水もいいですよ。
とても綺麗な香椎宮でした。
天気も良く、最高の1日になりました。
本殿の改装が終わったら、もう一度伺いたいです。
その時は、是非!宜しくお願いします。
香椎宮幅広いです。
凄すぎるかもしれませんね。
神社さまの謂れ等々、写メをご参照くださいませ。
お掃除が行届き、綺麗に整備され、神主さんはじめ、氏子さん、関係者各位、並びに地域の皆々様のご苦労様とお陰様に感謝致します。
いつも気持ち良く参拝させて頂いております🙏😊
令和4年1月25日 ⛩️香椎宮参拝【国指定重要文化財】本殿は724年に建立され、1801年に第十代福岡藩主黒田斉清(長順)により再建された「香椎造」という名の日本唯一の建築様式です。
入母屋造平入に切妻屋根が複雑に連結し、正面の大千鳥破風、左右の車寄せなど、変化に富んだ造りとなっています。
❖見る価値あります。
😀✬縁起 由来香椎宮は仲哀天皇9年(200)、神功皇后自ら祀を建て、仲哀天皇の神霊をお祀りされたのが起源であります。
神功皇后の宮は元正天皇の養老7年(723)に皇后ご自身の御神託により、朝廷が九州に詔して社殿の造営を始め聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、此の両宮は併せて香椎廟と称され、神社とは異なる別格の待遇を受けておりました。
平安期頃より香椎宮と呼ばれるようになり、明治以降は官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しております。
✬御神徳主神✬仲哀天皇✬神功皇后配祀✬応神天皇✬住吉大神【駐車場無料、スロープ有り、休憩所有り、露店の梅ヶ餅】詳しくは確認を。
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九州には2社しかない勅祭社の1つとして10年に1度勅使(天皇の使者)をお迎えし、祭儀を執り行っている権威ある神社🧐日本3大名水と呼ばれている名水の一つが、香椎宮の【不老水】があります☝🏻
素晴らしいの一言。
全国にある16勅祭社の1つで、10年に1度天皇陛下の名代である勅使が遣われます。
境内には多くの見所があり散策するだけでも楽しめます。
社殿が極めて特殊な造りをしており、神社好きとしては胸が高鳴ります。
帰りに御朱印を頂きました。
コロナ禍のため書き置きのものでしたが、黄色の紙に書かれており驚きました。
これはウコン染めというらしく、勅使が使う紙と同じとのこと。
創建は神亀元年(724年)と伝わっていますが、文献上の初見は神亀5年(728年)との事です。
元々は仲哀天皇と神功皇后の霊廟だったものが、平安時代中頃から神社化したという特殊な成り立ちもあって、勅祭で天皇の勅使の奉幣を受ける勅祭社になっています。
(現在の勅祭社は、伊勢神宮を別格として16社あり、香椎宮の勅祭は10年に1度です。
)JR香椎駅から歩きでの参詣だった為、若干疲れました。
澄み切った空気がパワースポットならではのお宮です。
1300年の歴史ある情景がそこにあります。
狛犬の迫力もさながら、みなさん足元を触って帰っていました。
香椎参道を歩いて通ってくるとさらに良い気がしました。
不老水もおすすめです。
境内前に設置されているアルコール消毒液が液体のり⁇のような臭いでとてもキツかったですが、スムーズにお宮参りができました。
やはり今年の初詣は分散していくのが吉ですね、、。
荘厳な鳥居をはじめとした歴史ある建物が多くあります。
駅からのアクセスもそこまで悪くないです。
ただ、マイカーやバスは参道が狭く、渋滞するためおすすめできません。
今年の年末も変わらず、屋台やお札を販売するようです。
コロナ対策をして、初詣に行かれてください。
第十四代仲哀天皇が大本営を置き、崩御したとされる場所。
かつては神社でなく「香椎廟」といわれただけあって、中国風のいわゆる廟としての雰囲気を醸し出している。
裏手の古宮跡が恐らく本来の地であったのであろう。
さらにその奥の武内宿禰の不老水とともに必見。
香椎宮は多くの観光客で賑わうというより、地元の人々に親しまれている神社です。
最寄り駅はJR香椎線の香椎神宮駅で歩いて5分程です。
西鉄バスの最寄りのバス停は香椎宮しょうぶ園前です。
オススメは西鉄貝塚線の香椎宮前から香椎参道を歩き、香椎宮にアクセスする行き方です。
香椎宮の主伸は仲哀天皇と神功皇后です。
香椎宮は由緒ある神社で、724年に創建されたようです。
全国でも16社しかない勅際社で、10年に一度天皇からの勅使の参向を受ける神社です。
香椎宮は境内も広く、ゆっくりとお参りするだけでも、オススメ出来ます。
休憩所で甘酒を買って、綺麗な景色を眺める、なんて贅沢な過ごし方も出来ます。
清らかな場所なので、定期的にお参りをしたい神社です。
2015年の大晦日に訪れた。
およそ半世紀ぶりになるかと思う。
小学生まで貝塚で暮らしていたのだが、その当時、川(多々良川)までは遊びに来ていたが、川を越えることは無かった。
二階のベランダから川を眺め、向こう側は何があるのかと思っていた。
親に連れられて初めて川を越え、やってきたのはこの香椎宮だった。
露店が並び賑やかだったのを覚えている。
たぶん何かのお祭りだったのかもしれない。
本当に何十年振り、というかほとんど初めての感じである。
改めて来ると、由緒正しき神社であるのが解る。
仲哀天皇と神功皇后を祀るとあるが、神霊を祭る御廟とのこと。
つまり勧請ではなく、もともとの御霊を祀っているということではないか。
始まりは神社ではなく御廟なのかと初めてわかった。
この玄海に沿う道筋には歴史の深い神社が博多まで並んでいる。
個人的に神様ゴールデンルートと名付けたが、小倉の岡田宮がゲートで、宗像・宮地嶽・志賀海・香椎・筥崎・博多の住吉神社がゴールである。
社格や神格も高く総本宮もある。
このルートで世界遺産に登録してもいいくらいだ。
この時は1泊2日のその途中だった。
あいにくの小雨だったが、朝早い参拝のためまだあまり人もおらず、ゆっくりと見て回ることが出来た。
良いお参りをさせていただきました。
古くは「香椎廟」と呼ばれ、朝廷より特別な待遇を受けておりました。
そのため、延喜式神名帳には記載されておりません。
正式に「香椎宮」となったのは明治以後でございます。
本朝四所 伊勢神宮 石清水八幡宮 香椎宮 気比神宮「続日本紀」天平九年(737)夏四月乙巳朔条に「使を伊勢神宮・大神社・筑紫の住吉・八幡二社(宇佐)・及び香椎宮に遣わし、幣を奉り新羅無礼の状を告げしむ」とある。
(ホ―ムページより)とにかく古くから有る由緒正しいお宮だと言う事ですね。
2018年1月訪問 駆け足で回ったが、もうちょっとまたゆっくり時間をとって訪れたい。
200年頃の仲哀天皇と神功皇后あたりの由縁の神社のようだ。
日本書紀読んだことないが・・新古今和歌集に出てくるという御神木「綾杉」は宿っている。
落ちた杉の小枝はパワーがあると思う。
ちなみに、神功皇后が植えられたとか!1800年前!奈良時代以前の標石が「御手水所」「御祓所」など点在。
戦艦摂津の砲身が奉納されてました。
でかい。
常連さんか氏子さんから、左側の口を閉じた狛犬をなでてから、桜門との真ん中くらいの1枚だけ色が違う石畳の前から桜門に向けて祈願すると開運するとか!左側の狛犬は、口を閉じているから運を閉じ込めていて、右側の狛犬は口を開けて運を出しているとかだったような。
確かに、右側の狛犬はなでられてないからか苔が多し。
仲哀天皇御廟 あたたかく穏やかな場所。
この地に来るとホッと心温まる。
鳥居の近くにある売店でいただく甘酒は格別ですね。
本宮から300mほど北へ向かうと武内宿禰が長生きをして大切に今も残る不老水の井戸がある。
この甘酒にも使われている。
境内に鎮座した狛犬様は特異な存在感、御姿です。
鶏を祀る神社は珍しいかも。
以下香椎宮鶏石神社HPより抜粋「江戸時代の書物『雲根志(うんこんし)』によると、その死を憐れんだ僧侶によって、石になった鶏が祠におまつりされたことが起源と伝えられます。
『韓詩外伝(かんしがいでん)』には「冠を戴くは文なり、足に距(けづめ)を持つは武なり、敵前に敢えて戦うは勇なり、食を見て相呼ぶは仁なり、夜を守って時を失わぬは信なり。
」とあり、鶏は文武勇仁信の五徳に優れるとされ、またその鳴き声は神様の出現を知らせる特別なものと云われます。
」この僧侶が誰かはわかりませんが、仲哀天皇に重ねたのだろうと思わせる。
そういえば仲哀天皇がこの地に移る前に居られ、崩御後に秘かに殯をされた下関の忌宮神社(豊浦宮)で、拝殿前に立った瞬間飼っている神鶏に猛々しく鳴かれてビックリしたことがある。
なんかシンクロがあったのかもしれないな。
福岡のパワースポットの一つ神功皇后縁の香椎宮があり古い歴史をもつ「香椎宮」に行ってきました。
敷地はすごく広かったです。
今回は行けませんでしたが本殿から北に約300m(本殿より右手、奥の方に歩いて約5分くらい)の山手にありますが有名な湧き水「不老水」もあります。
お時間ある方はぜひ、、、
旧社格は最高等級の官幣大社。
九州には、宇佐神宮と香椎宮だけです。
全国に十六社しかない勅祭社の一社で、本宮では十年毎に執り行われています。
仲哀天皇(日本武尊の息子)が神功皇后を伴いこの地で一年間治世を行いました。
その間は、まさに此処が日本の中心だった訳です。
奥の古宮跡は当時お住まいが在った場所なので、皇居跡という事にもなります。
或る日、仲哀天皇が俄かに崩御。
神功皇后は自ら其処に祠を建て、天皇の御霊を斎き祀られました。
これが香椎宮の起源です。
(古宮跡)皇后はこの時、身籠っておられました。
その御子が、三韓から戻った後に宇美八幡宮で出産された、後の応神天皇です。
神門の前に立つ大きな御神木"綾杉"は、三韓から戻った皇后が此処に三種の神器を埋めてその上に、「永遠に本廟を鎮護すべし」と祈りを込めて、鎧の袖に挿していた杉枝を植えたものが成長したと伝えられます。
神功皇后が亡くなって450年後、皇后ご自身の御神託により、仲哀天皇の神祠の側に新たに社殿を造営して皇后の御霊を祀りました。
以後、両宮を合わせて香椎廟と称していましたが、大正4年の勅旨により、天皇と皇后を御同座で奉斎するようになったそうです。
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、そして重臣武内宿祢の伝説は、古の弥生後期から古墳前期の物語ですが、ここ香椎宮の境内は、往時の息吹を感じる気がするほど、神聖で優しい空気に包まれています。
香椎宮の狛犬は小顔で筋骨隆々の、マッスル狛犬さん。
「阿吽」の狛犬吽形(門から向かって左側)を触って手に運を付け、そして楼門から鳥居が見える位置に立つと、門と鳥居で「開」の文字に見え、「運が開ける」と言われています。
御朱印は祭事には拝殿脇の札所で書いて頂けますが、普段は楼門近くの社務所で頂きます。
綾杉と菊の紋が織り込まれたオリジナル朱印帳があります。
他県から5年前に香椎に引越ししてきました。
田舎ではこの様な神格の高い神社は無かったのでとても新鮮でした。
特別広いわけでもなく特別な展示物がある訳でもありません。
10年に一度(今回は去年の10月)皇室から天皇陛下の勅使様がお参りに来ます。
とても格式高い割には参拝者が少ないです。
地味な神社無ので仕方ありませんが、地元の公園として親しまれてます。
香椎と言う名前だけが有名です。
ちなみに、今の皇太子さまや皇族の方々の植樹が地味に境内にあります。
有数の格式高き神社。
伊勢神宮、敦賀気比神宮、岩清水八幡宮と並ぶ本朝四所の一つ。
また、九州で天皇が定期的に勅使を送っているのは当宮と宇佐神宮のみ。
間違いなく福岡市周辺では最高の神社。
その割には知られていない。
元々は朝鮮半島方面の港である博多湾の東端に面した軍事拠点。
堀の構造が今もよく残っている。
名前 |
夫婦の宮、香椎宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
092-681-1001 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 6:00~18:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
以前から行きたかった香椎宮。
平日の昼間で、人でもまばらだったのでゆっくり参拝ができました。
手入れがされて、とても気持ちのよい雰囲気の拝殿でした。
江戸時代に再建された「香椎造り」と呼ばれる本殿の様式は、全国でもここだけだと説明していただきました。
歴代天皇の使者が参拝したという参道には、約800mにわたってクス並木が続いており、私もゆっくり歩いてきました。