ホームプラザナフコ新宮店の裏道を田んぼ沿いに歩いて...
横に川がありました。
車は1台(ギリギリ2台)駐車出来ます。
太閤水は水道です。
地下水をポンプで汲み上げているようです。
電気代などの足しに心付けをお願いしますと貼り紙が有ります。
井戸は残っていますが、水道なので風情は半減します。
結構人気で、訪れる人が途切れません。
ここで汲んで入れたお茶は美味しいです長く続いて欲しいのでお賽銭は必ず忘れません。
12階建ての団地に住んでいるが、水道水が生で飲めない。
ベランダの鉢植えも育たない。
浄水器付けても洗い物だけ。
そこで、太閤水に週2.3回お世話になる。
勿論、メダカ、金魚も太閤水で、フィルター交換、掃除で水替えは年に2.3回です。
お茶🍵コーヒーが丁軟水なので濃いめに出ます!昔から良い水はすたれないで生き残っているとはこの事ですね、糸島の二丈町にも太閤水が出ている所も有りますね。
太閤秀吉が九州征伐に来た歴史を感じましょう。
料理とコーヒーにはここの水を使っています。
水くみのあとは隣の社にお賽銭をあげてお参りします。
お世話になっています。
湧き水の方は枯れていて、皆さん井戸水を汲んでいます。
配管も古いので色んな水が染み込んでいるので大腸菌に気を付けてください。
飲むならせめて煮沸してからで、、、水質検査の結果を張り紙をしても剥がされてみんな水をくむそうです。
完全な地元民は飲みません。
地区の方が水を汲みに来られてます❗駐車スペースが狭いので注意が必要です‼️まろやかなお水です😋✋水を汲み上げるのに電気代がかかるようで、お賽銭は必ずしておきたいですね😁✋
太閤水への道順は、ホームプラザナフコ新宮店の裏道を田んぼ沿いに歩いて約10分~15分位です。
2109年新設される新宮東中学校からも徒歩10分位です。
西鉄バスだと「三代」を下車して、ナフコの裏側に回って行けます。
マイカーだとナビで行けますが、駐車場がないので、土日・祝日に出かけるときは注意してください。
近所も駐車場はありません。
井戸は使えませんが、蛇口をひねると湧き水が出ます。
お水は飲料水です。
太閤秀吉が朝鮮出兵の際、茶人秀吉が、行く所々で茶の湯に適した水を探し求め、随所で汲んだ水が太閤水との事です。
飲んでみると柔らかく美味しい水です。
並ぶほどではないですが、地元の方々が水汲みに来られていました。
小さな祠が有るだけなので、少々分かり難いかも知れませんが、平日でも訪れる方が割と多いです。
無料なのですが、維持管理の為に少しの「お心付け」をお願い致します。
天然の水 旨い。
新宮町の説明板によれば、「天正十五年(1587年)豊臣秀吉が立花城の立花宗茂を助けて薩摩の島津義久を征伐するさい、行きがけにこの地で水を求めたが、よい水がなかった。
そこで同行の堺の茶人津田宗及が、崖下に井戸を掘りよい湧き水を得た。
帰り道、秀吉はそのことを聞き、即座に宗及水と名づけた」とされています。
実際のところは、里人に井戸枠がわりに底の抜けた飯銅甕を嵌めこんだ「飯銅水」という井戸に案内されたというのが本当のところのようです。
その後、寛永五年(1628年)に津田宗及の子である京都大徳寺の僧、江月宗玩がこの地に立ち寄り、もとの名称「飯銅水」に改名したそうですが、やがて後の人が石畳の井戸を造り、太閤秀吉にちなみ「太閤水」と呼ばれるようになったそうです。
当時の「飯銅水」は現在どこであったかは不明ですが、「太閤水」は現在の場所に特定できます。
ちなみに、飯銅とは口が広く底の丸い陶器の水瓶のことで、「はんづ」「はんどー」と呼ばれ、唐津から博多、豊後にかけて昭和初期まで使われていたそうです。
現在、昔からある井戸脇からの湧水は枯渇したようで、背後を流れる小川の横に地下水をくみ上げる揚水井戸があり、その井戸の蛇口から採水することができます。
いつもいつもありがとうm(_ _)m感謝!!!
ここの水で肌を拭くとツルツルになったと聞きました。
水を入れている人はまだ見たことない。
地域の歴史についても学ぶことができます。
開いている時間に注意。
美味しい湧水です。
皆さんも行ってくださいね♪
お地蔵様にお参りして太閤水をいただく人達がたくさんです。
名前 |
太閤水 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
賽銭式の水汲み場です。
市内から比較的近くで便利です。