7月15日にはもちつき祭があります。
災害の後をくぐるように行きました!賊を討伐した戦勝を期に始まったと由来のあるこのまつりは、五穀豊穰を願うまつりでもあり、ふんどし姿の氏子たちが勇壮に麦もちをつきあげていく勇壮な姿を見ることができるそう!県選択無形民俗文化財に指定されてました!
樹齢300年以上の杉の木があります、毎年4月15日は的ほがし祭、7月15日にはもちつき祭があります。
約1000年の歴史を持つ神社。
鳥居の傍の杉の巨木に先ず圧倒される。
広い境内への参道は真夏でも涼やかで心地よい。
毎年7月に催される「麦餅つき祭り」は県の無形文化財に指定されている。
締め込み姿の氏子や村の子どもたちにより、独特の歌と舞いながらの麦の餅つきは地域に古くから親しく受け継がれ、執り行われている。
山間にある神社です。
風が心地よかったです。
山奥にある、綺麗な神社です!主祭神は、天神七代・地神五代、創建者である日隈四郎藤原信弘像代、社殿を再興した津江山城守長谷部信連です。
隣にある老松大明神社の御祭神が菅原道真で、相殿に吉祥比売命です。
境内には、宮園神社杉の倒木が保存されています。
津江山城守長谷部信連が社殿を再興し祭典を行った頃に植栽されたものであり日田地方での杉の植栽の始まりとも言われています。
津江神社のスギと自然林として昭和五十年に大分県文化財の指定を受けています。
倒木は平成三年の台風十九号による被害木なのだそうです。
名前 |
宮園津江神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.5 |
中世頃の津江一帯は安楽寺(現太宰府天満宮)領であったようでその中で天神の性質の強い老松神社が点在しており津江七社(大山老松社を含めて津江八社)と呼ばれる。
元々は宮原(鯛生金山の南西部)にあった老松社を宮園に移したとある。
黒木に勧請?したのが黒木津江神社ではないかと考えていたがどうも違う気がしてきた。
鎌倉~戦国時代に津江一帯を治めた津江(長谷部)氏は津江三山(渡神山・釈迦岳・御前岳)を信仰し御前岳に津江権現を祀っていたとされる。
山頂の社は風雨で倒壊し現在は北側に下った田代地区の御前嶽神社が残る。
注意したいのが同じ「津江神社」と言われていても「老松社由来の津江神社」と「津江権現を祀る津江神社」は区別され別に扱われているようだ(多分)、ということ。
この津江権現(津江神)は他所から神を連れて来た老松社とは違い津江氏がこの地に来る以前から信仰されていた神ではないかだろうか?敷地は広く津江八社の中央と思われる大野老松社に近い広さがあった。
周辺に植わった巨木の雰囲気も似ていると感じた。
社殿に樹が倒れ掛かっている写真が楼門にかけてあった。
現在は綺麗になっているので修繕したと思われる。
平成3年に倒木した杉の巨木がこれだろうか?撮影日時が右下にあったが判別できなかった。
あと境内にトイレがあったが水が出なかった(紙はある)。