島津氏の攻撃にも耐えた城です。
駐車場からなら楽に来る事ができます。
石垣が三の丸駐車場から見られるのは期待度が上がります。
三の丸駐車場まで車で行けるので散策しながら20分程度で本丸まで行ける。
三の丸出て直ぐの畝状竪堀や穴太積みの石垣、大手門跡の石積み・構造や水の手曲輪等遺構も多く残り、難攻不落の城散策が面白い。
一緒に麓にある末廣神社や三島公園森陣屋の遺構も見れる。
角牟礼城の城跡です。
「つのむれじょう」と読みます。
九州の雄、島津の攻防にも耐えたとかで難攻不落の名城らしいです。
大分県人ですが正直知名度は低いですね。
特に際立った見世物はありませんが、戦国時代の穴太積の石垣を見ることができます。
片道15分、少し見学して30分。
ちょっとした運動、ハイキングに良いと思います。
角牟礼城は鎌倉期の弘安年間に、この地の豪族であった森朝通が築き、島津氏の攻撃にも耐えた城です。
大友義統改易後は、この地に封じられた毛利高政が整備し、高政が佐伯に転封された後は、城主の格式を持たない村上水軍の一家である来島長親が封じられて廃城となっています。
三ノ丸跡まで車で登ることができ、そこからは荒城の雰囲気漂う石垣や竪堀跡を見ながら、本丸まで散策を楽しめます。
自分が訪れた際は本丸で庭園再建工事が行われ、何れは庭園も見ることができるようです。
続日本百名城の192番玖珠盆地は平安時代から玖珠郡衆によって支配されていたが、角牟礼城は、弘安年間(1278年 - 1288年)に玖珠郡衆の森朝通により豊後国から豊前国に抜ける交通の要衝に位置し、天然の要害である角埋山(576メートル)に築かれたと伝えられる。
ただし、史料においてその存在が確認できるのは、文明7年(1475年)が最初である。
wikiより江戸時代に森藩が立藩されたものの治める来島氏は城を持つことを許されず、麓に陣屋を建てそこで政務を執り行い、明治維新まで続いた。
童話作家久留島武彦は末裔との事。
麓から山頂まで20~30分で登山できます。
三の丸まで車で行けますが、大した山でもないので登山しながら歴史に耽るのも良いかなと。
山頂付近には石垣も確認できます。
途中、紅葉の林があり真っ赤な空間を歩けてよかったです。
つづら折りになっていないからか、傾斜がキツく感じました!下山する際は、気を付けた方が良いです。
難攻不落の名城。
森氏の居城。
ここでも、宗麟に思いを馳せる。
毛利高政の石垣。
来島康親の陣屋。
周囲のメサ(テーブル状台地)台地も面白い。
庭園あり久留島武彦館あり。
玖珠は素晴らしい🤩
豊後森資料館から石畳と神社を見て、三ノ丸駐車場へ向かい、そこから登山して本丸へ。
このルートこそが、時間が足りないけど気になる部分は見たい大人のためのルート。
角牟礼城は石垣がそこそこいいが、本丸の何もない感が凄い。
焼き不動も本丸横から下りて見に行ったが、そこそこ遠いし湿ってるし滑りやすく、本尊は見れないのでオススメしない。
展望台からの景色は一見の余地がある。
特に切り株山。
玖珠市に難攻不落を誇った角牟礼城があることを初めて知った。
島津義弘が、新納忠元を大将に攻め寄せたが落とせず撤退している。
大分県では、竹田市の岡城と杵築市の杵築城が島津軍を撃退した城で有名なことは知っていた。
ほとんど人が、玖珠市の角牟礼城は知らない。
大分道の玖珠インターの近くであるから、ドンドンPRすべきである。
切株山よりは、宣伝効果は高くなるしウォーキング大会やったら大勢の歴史ファンが集まって来る。
玖珠市には、尖閣諸島を守る水陸機動団の部隊も配置されている。
難攻不落の角牟礼城は、その活動も支援するだろう‼️🤗👍
伐株山は知っていましたが、ここに有名な「不落の城」があるなんて驚きました。
あの岡城と共に不落の城と呼ばれる理由は、その地形や城の作りにもありました。
三の丸の駐車場に車を停めて、二の丸に向かって歩いていくと穴太積みと呼ばれる野面積みの石垣が現れます。
そして、ここから本丸のある山頂付近までの傾斜は半端ないくらいシンドくて、年輩の方には少し厳しいかもしれません。
でもこの傾斜こそが角牟礼城が不落の城と呼ばれたことを実感します。
整備はあまりされていないものの、歴史に触れるには十分過ぎるほどの石垣と本丸の頂から見る展望でした。
2020年の11月に行きました。
もっと世間的に有名になってもいいと思えるぐらいの城跡たぶん‥石垣もキレイに残っていて立派でこれでもし城があればどんなに良かったことだろうと思わされます。
とりあえず紅葉がキレイで、武士のコスプレした人達がプロのカメラマンを雇って撮影していたのを拝見できたので運が良かったです。
島津義弘による城攻めにも耐え、難攻不落を謳われた国指定史跡で、穴太積みの石垣などの遺構があります。
久留島陣屋跡にある末廣神社に登城口がありますが、車で三の丸跡まで行く事が出来ます。
Google mapで調べれば簡単に判るとは思いますが、旧久留島氏庭園駐車場(三島公園東側)を出て突き当たりを右(西)に曲がり、道なりに登っていくと右側に角牟礼城跡入口の案内表示板があるのでそこを右に曲がれば後は一本道です。
スタートが旧久留島氏庭園駐車場になっているのは、他に判り易い目印が思い当たらなかった為です。
連れの ひとり が続100名城 の スタンプ を 集めているのでo.192 角牟礼城 の スタンプ を押して その後角埋山(標高577m)の 山頂 に 築かれた山城 の 本丸跡 まで 行きました三の丸 に 有る 駐車場 まで車で 行けます が離合 できない 場所 が 有ります豊後国 に 侵攻 してきた6000人 の 島津軍 を 1000人 で守り抜いた 堅固 な お城 です江戸 から 明治 まで この地 を治めた森藩 一万四千石「玖珠郡・日田郡の一部・速水群 飛び地別府市 と 日出町 の 一部」森藩の 久留島氏 は 元々 来島氏 で瀬戸内海 の 来島 を 本拠地 と した村上水軍です森藩 は 陣屋 で 城持ち藩 ではありません でしたなお飛び地 の 速水群 鶴見村 で明礬 の 製造 に 成功同じ 鶴見村 の 明礬温泉で 本格的 に 生産全国の 30%を 占め藩の 重要な 財源に なりましたまた隣接する 幕府領 の 野田村で 幕府も明礬の 生産 を 始め全国の 70%を この地 で占めました。
角牟礼城(つのむれじょう)は、大分県玖珠郡玖珠町の角埋山(つのむれやま)にあった山城。
弘安年間(1278年 - 1288年)に森朝通により築かれたとされる。
国の史跡。
戦国時代には、豊前の大内氏と豊後の大友氏との争いを背景により堅固に補強された。
天正14年(1586年)の島津義弘による豊後侵攻の折には、玖珠郡衆が籠城したが、島津軍の攻撃にも落城することはなく、難攻不落の城として名を高めた。
文禄3年(1594年)から慶長5年(1600年)にかけて、日田の毛利高政が玖珠の拠点として角牟礼城を整備した。
しかし、慶長6年(1601年)に来島長親が入封し森藩が立藩されると、来島氏が城主の格式を有さなかったため角牟礼城は廃城とされ、山麓に陣屋が置かれた。
一方、木島孝之は角牟礼城の高石垣について来島氏が入封後に築かれたものと評価しており、慶長6年廃城の通説を否定している。
2017年(平成29年)、続日本100名城(192番)に選定された。
2019年GWに訪問石垣の城下の公園からも十分歩けるようですので、スタンプ押してそのまま徒歩でも可時間がなければ車で林道を通って近くまで行けます古く美しい石垣を堪能してくださいこの城、破却されたのは福島正則への連座を恐れた来島一族がしたことなのね村上水軍のうちの来島なので、海賊が山の中に移されてるとはなんとも皮肉能島、来島、因島の村上水軍が陸に上げられた後を追うのもまた風情かもしれないです。
石垣、曲輪、土塁など良く残っている。
麓の久留島陣屋とセットで見るのが良いでしょう❗
三島公園から登って行く事もできますが、山頂近くの駐車場からなら直ぐに向かう事ができますので 其方をオススメします。
神社の御神仏の片方の指が6本ありますので、行かれた際は是非見られて行かれてください。
村上水軍の御三家の水軍上がりの武将が築いた山城です。
戦国時代に瀬戸内海中部を制した村上水軍。
その御三家の内の来島村上氏は、豊臣政権の力が瀬戸内におよんできたときにいち早くその支配下に入ります。
その恩賞として秀吉に、一時伊予で一万四〇〇〇石の大名に取り立てられますが、関ケ原の役後には家康によって、豊後国に移封され、海とは何のつながりもない、山間部の近世大名に「変身」していきます。
その居城跡がここです。
秀吉は刀狩令と時を同じくして海賊禁止令を発して、「海の平和」実現をめざしますが、海を活動の舞台にしてきた海賊衆にとっては、それは「活動の自由」の禁止だったのです。
日本続100名城のひとつである角牟礼城跡の入口には、看板もありますので、迷わずに行くことが出来ますが、入口から入った山道は車幅が車一台分しかありませんので対向車が来た場合は離合ポイントで離合する必要があります。
三の丸に駐車場があり、本丸跡まで歩道を歩いて15分もあれば着きます。
なお、三の丸にそれなりの石垣がありますので城跡に来たことを体感出来ます。
また、途中に石垣が複数箇所あり、この石垣が身近見ることが出来、箇所ごとに説明板がありますので分かりやすいと思います。
二の丸では熊本地震で被災し石垣の一部が崩れています。
本丸跡まで登ると高くて急な山城であるため、島津氏の豊後侵攻でも落城しなかった難航不落の城であったこと実感できます。
本丸跡までの歩道には急な坂がありますので歩きやすい靴で行くことをお勧めします。
石垣が素晴らしい城跡で、玖珠インターからも近いお勧めの城跡です。
水軍あがりの大名が、また海原に出てあばれないようにと、徳川将軍家はこんな長閑な盆地に押し込めた、ってエピソードからして御伽めかしい。
その海賊の末裔もさるもの。
野望を捨てず、ひそかに隠し砦をこしらえてたって逸話に、さらにファンタジーは駆け巡る。
山上のお城ですが大きい。
山麓にもお城に関係する施設あり。
石垣も良かったですが、散策も気持ちよかったです!
石垣が素晴らしかったと思います。
名前 |
角牟礼城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0973-72-7151 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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山城としては、各曲輪が残り整備もされていて最高です。
展望台からは三島公園や市内を眺めることが出来ます。
登城するには、三の丸までタクシーで行き各曲輪を一周し山道を三島公園に降りるのが楽だと思います。
下りも人が通れるように整備されており他の山城と比べるととても楽です。