秋月氏の遺構、趣満点!
松尾城跡の特徴
福岡藩初代藩主が築城した筑前六端城の一つです。
無料駐車場から自然に囲まれた登城道にアクセスできます。
秋月氏の家臣が城主だった歴史的な背景を持っています。
10月末に訪れました。
主郭部は綺麗に刈られています。
斜面の畝状空堀郡は藪になってましたが、現状の整備からすると仕方ないかもしれません…
黒田6端城の1つ。
15台程停められる駐車場から5分で行ける山城。
山頂には石垣が保存状態が良い状態で残る。
3重の堀切や分かりにくいが畝状竪堀、横矢などの遺構もしっかり見ることが出来る。
登城路など良く整備されている。
手を抜けばすぐに草木に埋もれてしまう程の小さな城跡ですが、草刈りをされてる方々は本当に大変だろうと思った。
本当にありがとうございます。
石垣、空堀、虎口、竪堀、堀切なども良く残っていて見応えある城跡❗
戦国時代、松尾城は秋月氏の家臣の宝珠山山城守の居城だったと考えられています。
1582年に大友宗麟の小石原攻めで打ち崩されました。
1601年には、黒田長政の福岡入城に伴い、領内の6端城のひとつとして設置され、黒田六郎右衛門が城主となります。
しかし一国一城令により、1615年には廃城となります。
城跡は、出入口としての虎口や中央部に二段になった建物の礎石跡、さらに東端には高くなっ櫓跡を見ることかできます。
黒田六端城の一つです!制覇中です😵後、二つだから頑張って✊😃✊
無料駐車場がありそこからすぐのところに案内板、登山口ありました。
山道は整備されており迷わず城跡に到着できましたッ!城跡の草木はきれいに刈っており隅々まで探索することができ畝状竪堀、土塁、堀切、石垣、櫓台等確認できましたッ!石垣には矢穴も発見でき感動しましたッ✨Googleで上空から検索するとはっきり長方形をした縄張りが分かります!この時期は城跡巡りには最適ですッ!
筑前六端城の一つ。
小さい🏯ながら、立派😮。
筑前六端城の一つ。
公共交通機関で行くのは結構大変です。
新飯塚駅からレンタサイクル(ママチャリ)を借りて向かいました。
登城道は笹に覆われ気味になっとりますがタイミングが悪かったかな?小規模な城跡ですが、虎口や周囲を囲む石垣がいい雰囲気でした。
なかなか、趣のあるいい遺構でした。
草刈りもすんでて気候も涼しい今の時期がベストかも、城自体は小さいのですぐ見終わります。
麓に整備された綺麗な駐車場から、少し山道をクネクネと登ると、杉林が拓けて城跡の石垣が見えてきます。
整備されてよく見える部分はおおよそ南北30m、東西60mの範囲の主郭のみですが、しっかりと積まれた野面積みの石垣、礎石建物の痕跡が近世城郭の名残を残しています。
一国一城令後破城され、発掘調査時は広範囲は崩れた状態だったようですが、発掘調査後、一部を除いて石垣をある程度復元整備され、ちゃんとその表示もしてあります。
曲輪の周りには、南北に畝状空堀(畝状竪堀)東に堀切群があり、よく観察すれば見ることができます。
城跡の整備区画内(駐車場を含む)にお手洗い等はないので、近くの道の駅まで行く必要があります。
築城年代は定かではないが中世は秋月氏の所領で家臣が城主であったと考えられている。
後に黒田氏の六端城の一つとなり中間六郎右衛門統胤が城主となった。
一国一城令によって廃城となった。
小石原信号周辺から目立つ標高50mほどの山に築かれた城跡となる。
前回訪れた時は南麓に建設されている公営住宅の工事中で見学を控えたが、現在はその工事もほぼ終わっていた。
入口から5分程歩けば中世城跡を堪能出来る。
道の駅小石原も良く見える。
松尾さんめちゃくちゃサイコー😍💓💓
名前 |
松尾城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

福岡藩初代藩主・黒田長政によって築城された筑前六端城の1つです。
他の5つの城と共に反目していた細川忠興が治めていた隣国・豊前国境線に沿って築城され、中間統胤が城主を務めていました。
他の5城は黒田二十四騎と呼ばれる譜代家臣の精鋭が城主でしたが、中間統胤は二十四騎でもなければ新参の家臣であったにも関わらず城主に抜擢されています。
城跡は山城であったため、だいぶ登る上に道幅も狭く気を付けて歩かないと斜面から落ちてしまうほど狭いので注意が必要です。
私が訪れた際は雑草が生い茂り、先に進むのも苦労しましたが石垣はそこそこ遺っており往時を偲ぶことが出来ます。