かつての城跡、高良山の三角点あり。
高良山の主峰・毘沙門岳の山頂付近に築かれ、毘沙門岳城とも呼ばれる。
Y字形の曲輪が切通しによって東西の2つに分けられ、東側が本丸とみられる。
南北100m、東西15mほどの本丸には土塁で囲まれた地区があり、北側には土塁と空堀が設けられた。
尾根上にある西の曲輪は長さ100m、幅20mほどで、どちらの郭も南および西側は急斜面となっていた。
また、さらに本丸の東にも長さ70m、幅20mほどの曲輪もあった。
延文4年(1359年)の大原合戦(筑後川の戦い)では、南朝方の懐良親王(後醍醐天皇の皇子)の本城になったという。
1967年に跡地が森林つづじ公園として整備されている。
2020.04.23 登頂。
別所城とも呼ばれました。
南北朝時代の1359年大保原合戦に際し、懐良親王が拠点にしたと伝わるが、築城者や築城時期は不明です。
立地から、高良山座主や高良山勢力を傘下においた大友方の武将が陣を敷いたとも考えられます。
高良山山頂に主郭をおき、南西方面に延びる尾根上に長さ150メートル幅15メートルの曲輪を配している。
又東側尾根上にも別の曲輪もみられる。
かつての城跡、高良山の三角点あり。
2020.04.23 登頂。
ちょうど良いトレッキングコースだと思います。
だいたい今のつつじ公園が、山城の跡地になるようだ。
つつじ公園に山頂へ至る階段がついている。
よく見ると、公園の至る所に階段がある。
元からそういう造りになっていたのか。
たぶん自然の地形を利用した山城で、構築物らしきものはあまり残っていない。
山頂近くまで木が伸びて眺望は利かないが、往年は木など刈払い、四方を見渡せる国見の場だったのだろう。
高良山山頂。
山頂碑以外は特に見るものありませんが、高良大社から歩いても三十分程度と市民散策の場所です。
高良山山頂(標高312.3m)にある南北朝時代の山城。
正平14年(1359)の筑後川合戦の際に南朝方の懐良親王が陣を敷いた。
複数の曲輪のほか、堀切や空堀、土塁などが残る。
名前 |
毘沙門岳城 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0942-43-8671 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.5 |
別名・別所城耳納山系高良山山頂に築かれ比高290mを誇る山城征西大将軍として九州に下向した後醍醐天皇の皇子である懐良親王を迎える為に菊池武光が築いたと伝わる城親王はこの城に鎮西府を置いて、九州の南朝方の本拠とした1359年、筑後川の戦いでは、この城も北朝方の攻撃対象とされたが見事勝利現在城址は久留米森林つつじ公園として整備されているが堀切等の遺構を確認する事が出来るよし降りるか…