名前 |
野波神社下ノ宮 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
5.0 |
野波神社下ノ宮です。
駐車場🅿無しトイレ🚻無し近くに公衆トイレがありますそこにちょっとした駐車スペースがありますのでおじゃましましょう🐈御祭神息長宿祢(おきながすくね)葛城高額媛(かつらぎたかぬかひめ)このお二人は神功皇后の両親です🐈神功皇后の系図父・息長宿祢(おきながすくね)母・葛城高額媛(かつらぎたかぬかひめ)息長宿祢(おきながすくね)の父・建南方(たけみなかた)母・奈留多姫(なるたひめ)建南方の父・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)母・瀛津世襲足姫(おきつよそたらしひめ)天忍穂耳命の父上は素戔嗚になります。
北山ダム建設が計画され野波の郷も計画範囲に入ってしまい、野波神社下ノ宮と野波神社は移転されます。
現在は北山ダム(1950~)に水没した事によって移転した後、北山ゴルフ場建設によって再移転を余儀なくされた神社ですが、この神社だけは地元七山の民により大切に守られてきました。
旧背振村桂木は葛城神社、一言主命を祀る神社との関係があります、この桂木とは神功皇后の母親、葛城高額媛の桂木です。
現佐賀市で旧三瀬村の水没した野波の郷に神功皇后のご両親が住んでいた証拠です。
神功皇后もこの地で産まれていると考えられませんか☺桂木の一言主命神社の存在が、葛城氏の一族が旧脊振村にいた事を推定され、縁起からは同じ脊振山系の旧三瀬村辺りに息長宿禰もいた事も推定され、葛城氏も息長氏もともに脊振山系に展開していた可能性があるのではないかと考えられます。
当然ながら、記紀を熟考された通説派の方々は鼻で笑って取り合わないでしょうが、神功皇后のご両親の息長宿禰と葛城高額姫を単独で祀る神社が何故この地に存在するのかという点と、全国にそのような神社が存在するかといえばないとですよ🐈それと少し南下したところに鳥羽院という地名があり後鳥羽上皇を祀る後鳥羽神社があるのもご紹介しておきます。
後鳥羽上皇が承久の乱に負けて島根の隠岐の島に流刑されたと正史では語られていますが神埼市鳥羽院には後鳥羽上皇とお連れらがこの地を頼ってやって来て、その後生涯を終えた伝承があります。
もう一つは吉野の郷ですね。
吉野離宮はまたの機会に🐈この神埼の地には何かがあるとですよ☺社殿は古く地元の方で手厚く守られていますどうか行かれたさいは、少しでもいいので神社存続の御寄進とお賽銭をお願いします🐈是非行かれて古代の空気を感じてくださればと思います🐈ありがとうございます🐈