神功皇后を辿って、やっと行けました。
砥上神社(中津屋神社) / / / .
詳しいことはよく知らないんですが、とにかく歴史を感じました。
ちょっと奥まった場所にあるので、分かりにくいかもです。
駐車場もしっかりあります。
中には遊具もありましたが、かなり古びていました。
砥上観音古墳に行くのに、砥上神社の駐車場から砥上岳登山道へ、歩いていくほうが良い。
砥上山に登った時に、近くを通ったと思いますが、印象がありません。
郷社中津屋神社(朝倉郡夜須村大字砥上字宮の上)祭神神功皇后(息長足姫命)、八幡大神(応神天皇)住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)由緒当社は夜須郡の祖社にして、宮所は古く社伝に、神功皇后新羅を征討せんとして先ず諸国の軍衆を此の地に招集し給い、中宿(屯営)としたことにより中つ屋と号す此所に集まれる軍衆に命じ、兵器を砥ぎ研かせ給うにより、砥上の地名を残せり 征討進発に当り軍議を催しm武神たる武甕槌神を勧請して皇軍の武運を祈り砥上嶽山上に武宮と在るは是なり天文十二年(一五四三年)大内田勘解由重国(当社・初代宮司)初めて祭祀なす 是より秋月氏は神殿の造営を成し、祭祀料二町余、筑紫氏もまた一町二反の神領を寄進し、崇敬の誠を捧ぐ 後、天正二年(一五七四年)萩尾遠江守治種により社殿の再興あり 貞享四年(一六八七年)夜須郷の産子により修理さる当社は代々夜須郷の氏子はもとより武人の尊崇特に厚く、歴代福岡藩主及び社寺奉行よりご祈祷報賽並びに代参のありたることを証す達文多数残れり尚、石鳥居の額は花山院内府貞誠公の筆なり明治五年十一月三日郷社に列せられ現在に至る例祭日 九月二十四日境内社若狭八幡宮須賀神社薬祖神社愛宕神社摂社若八幡宮末社大神宮千七百二十五年祭記念境内設置由緒石碑文ーーーーーーーーーーーーーーーー郷社 中津屋神社 朝倉郡夜須村大字砥上字宮の上祭神神功皇后、住吉大神、八幡大神由緒不詳、明治五年十一月三日郷社に定めらる。
社説に曰く、創立年月日不詳なるも天文十二年大内田勘解由重國祭祀すると、神功皇后新羅を討給はんとて先諸國の軍衆を此所まで招寄せ給ひ、中宿なりと宣ひし故中つ屋と號す、さて軍衆に命じ兵器をとぎみがかせ給ひし故に砥上の名あり然して軍用の謀をなさしめ給ひ、日本最初の武神なればとて武甕槌神を勧請して皇軍の武運を祈り、三韓平定の功を奏し給ふと云ふ。
現在砥上嶽の山上に武宮とあるは此の遺蹟なり今尚ほ祭祀を絶たず神威益々赫々たり。
正月十五日神樂を奏し射禮を行ふ。
又九月二十四日は恒例の大祭にて神幸を行ふ其の外色々儀式あり、是等祭料に秋月氏より二町餘、筑紫氏より一町二反寄附せらる。
昔は夜須郡の祖社にして宮所古く御池等あり。
境内二千坪、石の鳥居の額は花山院内府貞誠公の筆なり。
神殿は初秋月氏造立、其の後天正二年萩尾遠江守治種再興あり、貞享四年産子より修理せり、福岡藩主及社寺奉行より御祈禱報賽及代参ありたる達文多數殘れり。
例祭日 九月二十四日主なる建造物 社殿、拜殿、渡殿、籠堂、社務所、倉庫主なる寳物 御掛物一軸、正二位花山院宮御筆、御縁起貝原好古拜、寳劔境内坪数 千坪氏子區域及戸數 砥上區 七十三戸境内神社 須賀神社(埴安大神)藥祖神社 愛宕神社摂社 若八幡宮末社 大神宮福岡県神社誌 中巻ーーーーーーーーーーーーーーーー指定種別t町指定天然記念物員数t1株所在地t砥上(とかみ)980-1指定年月日t平成17年3月22日管理者(所有者)t砥上神社 氏子総代文化財の状況t8株中、最大の3号を指定。
高さ約27メートル、胸高周囲3.8メートル。
砥上神社境内は、昭和49年6月に環境指標の森として県の指定を受けている。
筑前町教育委員会 official web siteーーーーーーーーーーーーーーーー筑前町指定天然記念物イチイガシ指定日 平成十七年月二十二日所在地 朝倉郡筑前町砥上字宮ノ上イチイガシは、ブナ科コナラ属で関東以西の太平洋側や四国・九州に分布し、その生育地は肥沃な平地を好みます。
また、その実は渋みが少なく食べることもでき、縄文時代には食用とされていました。
材としても固く農耕具や建築材に適しており、この南にある惣利遺跡から出土した建築材等にも使用されていました。
指定をしているものは、中津屋神社の境内にある8本中、大きな3本について行い、最も大きいもので樹高二十七m、胸高周囲三、八mです。
平成二一年三月筑前町教育委員会樹元説明板。
由緒ある神社とのこと。
付近に案内の看板がないのでちょっとわかりにくいところにある。
駐車場は、神社側でなく池の隣にあるところに停めること。
砥上岳は道も良く整備されていて良かった!
古い由緒がある神社さんでした!子供の頃に遊んだ神社さんみたいで何故か心安らぎました。
11月6日、砥上岳に登るために寄りました。
すぐそばにある池は紅葉が映えますね。
神社の天丼絵には鬼を捕える侍が描かれています。
役200年前の絵みたいです。
中央には龍が描かれています。
鬼滅の刃は実話かもしれませんね(笑)😄
ご祭神は、神功皇后、八幡大神、住吉大神の三柱です。
砥上神社と中津屋神社という二つの名前をもっています。
由緒書によれば神功皇后が新羅を征討しようとして、まず諸国の軍衆をこの地に召集され中宿(屯営)としたことにより「中津屋」と呼びました。
ここに集まった軍衆に命じ、兵器を砥ぎ磨かせたので、「砥上」の地名をのこしました。
とあります。
しかし、これは新羅征討ではなく、熊襲の羽白熊鷲退治のことではないかとおもわれます。
ここは、砥上岳の登り口にあたり、山頂には「武宮」があり、その遥拝所にもなっています。
筑前国では由緒ある神社。
古い樅の木が現在五本残って高さは二十メートル位ある。
神社の下の駐車場付近には桜もあり穴場のスポットです。
神功皇后を辿って、やっと行けました。
でもなんだか空っぽなかんじで寒々しい雰囲気でした。
すてきな由来のある神社なのにもったいない。
神功皇后はこの地で兵を集め、神社両側の二つの池で武器刃物を研かせて戦いの準備をした。
草書で解く邪馬台国の謎 井上悦文。
由緒u0026歴史ロマンが有る古いお宮さんでお参りでき最高のよろこびとなりました。
屋根に立派な龍が書かれている。
車を数台止められます。
小さなトイレがあり、砥上岳に登る拠点になります。
桜が、満開‼登りやすい砥上岳。
気持ちがゆったり✨
神功皇后伝承地諸国の群衆をこの地に集め兵器砥ぎ磨かせた。
武甕槌神を勧請し皇軍の武運を祈った。
(砥上岳山頂に武宮祭神として祀られているそう)御祭神神功皇后・八幡大神・住吉大神当社は砥上岳の麓に鎮座し登山道口ともなる。
道中には皇后所縁の石等あるらしい。
いずれは登ってみたい。
別社名の中津屋は皇后軍が中宿としたことにちなむ。
武器を研ぎ澄ます音と集まった群衆達の緊張感が伝わってきそうなお宮である。
歴史が深く、とても居心地の良い静かな神社。
Place where God is present !!
砥上岳の麓に鎮座している神社です。
荘厳な雰囲気の良い神社です。
名前 |
砥上神社(中津屋神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0946-42-6601 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
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神社の左側の道路沿いに登山者用の広い駐車場があります。
ここから砥上岳までの登山道は危険箇所も無く、人が絶えず歩いている歴史あるしっかりした道です。
頂上から坂根登山道をくだりましたが、こちらは大雨で登山道があちこち流されています。
親切なピンクのリボンが頼りです。