水城の歴史散策JR水城駅から歩いて近い。
西門が廃絶した後も(平安時代)まで水城の土塁を通り抜ける道として使われていたそうです。
今(2021 年)でも犬の散歩や通り道として使っている人とすれ違うって、なんだか感慨深いものがあります。
水城の歴史散策JR水城駅から歩いて近い。
案内板がないと分かりませんが、ここに昔は門があったのかという感じですッ!数メートル離れた所に礎石がありましたッ!礎石には案内板ない為、最初は分かりませんでしたッ💦後で資料を見て後日観に行きましたッ!約1350年前の遺構が確認出来るだけなんて素晴らしいですッ!
何もないけど、それがいい。
歴史を感じながら散策。
続日本100名城に選定された水城の遺構の一つ。
水城の建築当初の西門は筑紫館(後の鴻臚館)と大宰府を結ぶ重要な門とのことで期待してましたが…予想以上に狭いw後の海外との政情不安に伴い、狭い門に改変されたと思われます。
車道が通っていますが、車1台通るのもやっとのことです(^_^;)門自体もとっくの昔に消失しております。
土塁は残っていますが、堀や基底部の殆んどは開発され田畑や住宅地となっています。
駅の裏ですが、道も狭く駐車場もないので注意。
駐車スペースが無くもないのですが、常時駐車可能か不明なので割愛します。
664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた大宰府の防衛施設「水城(みずき)」博多湾から南下してくる敵への防衛ラインとして、長さ1.2km、基底部で幅80m、高さ13mを越える人工の土塁(堤防)の跡で桜の名所としても知られる場所である。
太宰府市文化遺産【登録番号】H0005【所在場所】吉松2丁目【名称】水城西門跡【通称】―【文化遺産情報】西暦664年に、唐・新羅連合軍に備えて造られた防衛施設である水城。
そこには東と西に二つの門があり、この地はその「西門」の跡である。
発掘調査の成果から3期にわたる門の跡が検出されている。
鴻臚館跡から伸びる官道が交わる位置の門跡とのこと。
官道の実際の幅や方向がわかる矢印とかあるといいなと思いました。
太宰府市文化遺産【登録番号】H0005【所在場所】吉松2丁目【名称】水城西門跡【通称】―【文化遺産情報】西暦664年に、唐・新羅連合軍に備えて造られた防衛施設である水城。
そこには東と西に二つの門があり、この地はその「西門」の跡である。
発掘調査の成果から3期にわたる門の跡が検出されている。
名前 |
水城西門跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.dazaifu-japan-heritage.jp/m/bunkazai/detail2.php?mId=386 |
評価 |
4.0 |
今年は桜を永く楽しめました~