整理整頓しているので。
国分天満宮は農業を 生業とする ムラ方 と日田街道に 沿って 商人や職人の マチ方と いわれている 人が住む国分寺周辺 の 場所に 有りムラ方の 住人により 建立され菅原道真公 が 祀られ います境内に 山上憶良 が妻を 亡くした 旅人に かわり 詠った大宰府の 万葉歌碑が 有ります大野山 霧立渡る わが嘆く息嘯く(おきその)の 風に霧立ちわたる。
我が地域の氏神様です。
新元号に纏わる場所、地域が日本中、国民に大きな影響を与えてる⁉️太宰府天満宮で、東京から来られた親子の方と縁もゆかりもないけどお友達となり、ご一緒に大宰府政庁跡周辺を歩いて散策、御互いに善い経験をさせていただきました🙏
村社 天滿宮 筑紫郡水城村大字國分字堀田祭 神 菅原神由 緒 不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日 十月十二日神饌幣帛料供進指定 大正十五年五月十四日主なる建造物 本殿,拝殿,社務所,神饌所境内坪数 二百四十六坪氏子区域及戸数 七十五戸福岡県神社誌 中巻大野山(おおのやま) 霧(きり)立ち渡るわが嘆(なげ)く 息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる山上憶良(やまのうえのおくら)原文大野山(おおのやま) 紀利多知和多流(きりたちわたる) 和何那宣久(わがなげく) 於伎蘇乃可是尓(おきそのかぜに) 紀利多知和多流(きりたちわたる)万葉集巻五 七九九大意大野山に霧が立ち渡っている。
私が亡き妻を思って吐く息で,一面に霧が立ちわたっている。
太宰帥(だざいのそち)として赴任した大伴旅人(おおとものたびと)は,着任後間もなく愛妻大伴郎女(おおとものいらつめ)を亡くす。
当時筑前守(ちくぜんのかみ)としてこの地にあった山上憶良(やまのうえのおくら)は,神亀五年(七二八)七月二十一日,長歌(ちょうか)に五首の反歌(はんか)をつけ,「日本挽歌(にほんばんか)一首」として旅人に奉(たてまつ)った。
その反歌の最後に詠まれたもの。
背後の大野山(四王寺山(しおうじやま))には,よく霧が立ち,旅人の嘆きを現在(いま)に伝えている。
この解説板は「歴史と文化の環境税」で作成しています。
鳥居:「明治十二年■■(己卯?)三月𠮷辰」「天満神社」「奉献 氏子中」狛犬:「石工 松島正蔵 中島義雄」「昭和八年一月吉旦」本殿石祠:「奉再建石寳殿一宇 弘化四年■■ 三月吉■ 産子中」
名前 |
国分天満宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
整理整頓しているので。