本殿裏の小丘陵上に前方後円墳がある。
だいぶ八幡宮とよみます。
ご祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命です。
創建は726年です。
923年に八幡宮が大分宮から博多の筥崎に遷宮するという出来事がおこりました。
大分八幡宮が筥崎宮の本宮と云われるのはこの為です。
その後も大分八幡宮は、宇佐八幡宮の「九州五所別宮」の第一に位置付けられるなど、由緒正しい名社となっています。
ここにある大樟は、神功皇后が新羅征服から持ち帰った3本の樟の内の1本の子孫にあたる樟だそうです。
また、応神天皇の産湯に使ったといわれる井戸もあります。
神仏集合時代の名残と思われる楼門には、立派な仁王像もみられます。
神主さん不在で御朱印もらえず夏が近い生活雑草が多い場所があったなぁ維持するのも大変そうだなぁ巨大なクヌギ?は圧巻です。
お出かけの途中に立ち寄ってみました。
境内の御神木がすごく大きくて、迫力があります。
神社参拝は、心が洗われます。
神功皇后が筑紫の行政をしばらくの間執り行った後、軍隊を解隊された場所です宇佐神宮の古い書物には大分宮が我本宮であると書かれており、また筥崎宮の元宮でもあります🙏また神殿の裏にある小高い丘は仲哀天皇のお墓という説もありますまた秋の放生会は県の無形文化財に指定された獅子舞や、流鏑馬も行われます🐎とてもエネルギーの高い場所なのでただのんびり過ごすだけで数週間はパワーアップした状態で日常を過ごすことが出来ますよ( ^∀^)
神功皇后ゆかりの地であり、箱崎宮の元宮ともいわれる大分八幡宮様、久しぶりのお詣りは快晴で、とても素晴らしいエネルギーを頂く事ができました。
飯塚市大分(だいぶ)にある小さいけれども由緒ある重要なお社です。
祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命(神武天皇母君)です。
神亀3年(726年)に神託により創建されたと伝わり、社殿は鎮西第一と言われる程壮麗なものだったと言います。
尚、当地は神功皇后が三韓征伐の帰途、ショウケ峠を越えてこの地に立ち寄られ、率いていた兵を解隊された地と言われています。
大分の地名はこの時の「おおわかれ」に因んでいます。
「宇佐宮御託宣集」の延喜21年(921年)の件にて「我宇佐宮より穂波の大分宮は本宮なり」とあり、延長元年(923年)に箱崎の松原に遷座された為、筥崎宮の元宮とされています。
代々朝廷の尊崇あつく承平5年(935年)の天慶の乱の際には朱雀天皇の勅願により、平将門、藤原純友の追討祈願の為、九州に宇佐八幡五所別宮(第二・肥前千栗宮、第三・肥後藤崎宮、第四・薩摩新田宮、第五・大隅正八幡宮)が造立されますが、第一は大分八幡宮とされました。
中世も朝廷からの崇敬あつく治暦3年(1071年)の再建では筥崎宮と同等規模の社殿でした。
応仁の乱を受けて衰微しますが天正5年(1577年)、秋月種実により再建するも秋月氏が日向に転封になり再び衰微。
江戸時代に福岡藩の寄進により再興しました。
境内は中々広く大きなクスノキにお社が守られている様な雰囲気です。
元禄3年(1690年)に伊佐勘九郎が寄進した三ノ鳥居には筑前の学者、貝原益軒が京都に赴いた際、内大臣を務めた花山院定誠の書による「大分宮」の扁額があります。
総門は宝永4年(1707年)建立で切妻造、銅板葺きの八脚門。
神仏混交時代の名残である仁王像も残っています。
現在の社殿は平成7年(1995年)再建のものです。
入母屋千鳥唐破風付きの拝殿を持ち、本殿屋根には5本の鰹木と外削ぎの千木を乗せます。
社殿は新しいものの神威と格式を物語る立派なお社です。
広い境内に親子連れが散歩に来ていました。
駐車場は境内に数十台は止められる広さがあります。
社務所はありますが無人の事が多い様で、御朱印は書置きタイプのものが¥300-の初穂料で置いてありました。
此処から椿八幡宮迄は車で数分の距離です。
神功皇后は宇美八幡宮→大分八幡宮→椿八幡宮→曩祖八幡宮という順序で歩まれたのですね。
「飯塚」の地名も九州の家臣と別れる際、家臣達が「またいつか御尊顔を拝し奉らん」と言った「いつか」が由来と言われています。
初夏を思わせる日曜日の午後の、ちょっとした歴史散歩でした。
とても静かで、パワーをもらえるスポットでした。
飯塚に住み始めて20年過ぎ、奥さんと二人で筑豊の素晴らしい歴史探索で立ち寄りました。
福岡市内の出張の折りに立ち寄ってみました。
スマホのナビを便りに行ったのですが、迷うこともなく駐車場まで辿り着けました。
境内はこじんまりとした広さで急な階段もなく足腰の不安もなく参拝できる神社です。
平日の夕方ということもあり境内は閑散としてましたが、凛とした雰囲気のある境内には気持ちも引き締まる思いでした!本殿での参拝を済ませ、御朱印を授与してもらおうと社務所の方に目をやると誰も居ない様子でしたので、取り敢えず境内を散策することに。
奥宮のある裏手の山に続く階段が気になり鳥居を潜ってみたものの階段の上に社殿らしきものが見当たらなかったので階段を登るのは諦めました(((^_^;)一通り散策をして社務所に戻ってみたけどやはり人の居る気配はなかったので窓ガラス越しにお守りやお札を見てると御朱印の書き置きもありました。
扉の横には呼び鈴のボタンもありましたが、ご用の方は押してくださいという張り紙もなかったし、夕方4時前ということもあり押す勇気はありませんでした(^o^;)窓ガラス越しに書き置きの御朱印を目に焼き付けて車に戻りました(笑)
とても綺麗なところでした!大きなクスノキ圧巻だし、広々としていて居心地良かったです。
2021年の1月に行きました。
駐車場止めやすく参拝者はチラホラ来ておりました。
境内は広くて車も停めれます。
天然記念物の大楠はとても迫力があります。
また、山門の両脇にある銀杏が丁度色づいていました。
七五三で次から次と家族連れが訪れていました。
忙しそうでしたので御朱印は次回参拝した時でも頂こうと思います。
二度目の参拝で御朱印を頂きました。
ありがとうございました。
この地で生まれ育ち数十年。
子どもの頃からこの神社でよく友だちと遊びました。
大分小学校からの帰り道で境内で追いかけっこや楠木(天然記念物ではない方)に登って遊んだりと罰当たりでしたが、小さい時から側にこの神社がいました。
今は初詣ぐらいしか行く機会がなくなりましたが、心の中にはいつまでも楽しかった思い出が残っています。
駐車場は広く入り口近くには立派な御神木?的な木がある。
社務所は無人だったが置き型御朱印有り。
窓を開ければお守りなど買えます。
社務所前にて小さな蛇に遭遇。
可愛かった。
2020年 6月参拝。
この辺りでは とても古く 博多の筥崎宮の元宮で 歴史深い❗行く道は、少し細めな 道を進みます❗鳥居から 広く綺麗な 境内❗天然記念物の 大きな楠が あり圧巻❗神門にある、木彫りも 凄かったですよ❗御朱印を 戴きに来ました❗社務所がありましたが、インターホンが無く念のため 電話で確認したら、快く出て来て下さいました🎵駐車場も、完備❗パワー溢れる お社でした🎵
神功皇后が御征韓を終え、宇美町の宇美八幡宮で応神天皇を出産したのち、ショウケ越えを行う。
大分の地にしばらくの駐留し筑紫の政務をし、軍隊を解散したところである。
境内は神池や天然記念物の立派な楠があり、当時の隆盛を思わせる。
境内もきれいにされており、炎天下でなければもう少し滞在したかったところです(^^)
私が良くお参りに行く、筥崎宮の本宮という事で前から行きたいと思っていました。
境内は広く、庭園も綺麗でした。
神社前の古びた商店が良い雰囲でした。
筥崎宮の本宮という事で、筥崎宮の御朱印帳に並んだ状態で御朱印を頂きました。
また、オリジナル御朱印帳もありました。
とても大きなクスノキがあり、感動しました✨。
御朱印もいただけます。
この地名は「だいぶ」と読む。
これを説明する「大分別れ」という伝説があり、神功皇后が新羅征伐後に軍隊をここで解散し、大いに別れを告げたとする。
これで納得行かず、九州王朝説を唱える人もある。
太宰府・大分に小郡市の大保を加えて、倭王武の上表文にある「三公三司」だと言う。
三公は古代中国の組織で、周では太师、太傅、太保。
魏朝に於ては諱を避けて太師を太宰とした。
境内には「応神天皇産湯の井戸」があり、神功皇后がここで、応神帝の世話をしたという。
察するに、宇美八幡宮は後からできたものとする主張か。
筥崎宮の元宮として知られる当社は奇妙にも「八幡宇佐宮御託宣集」で「我が本宮」とされる。
八幡神となった応神帝信仰は、此処から宇佐へ伝わったということだろうか。
姫大神ではなく玉依姫を御祭神とするのは、宇佐とは系統が異なるのか。
境内社に市杵島姫社。
この神名は宗像三女神の一で、宗像大社辺津宮の主とされるが。
池を造り島を表し、見るからに島の神のような?裏山は古墳とも。
階段を上ってみたが、よく判らない祠があるばかり。
地形上は普通の山に見えるが、さて。
由緒ある場所、癒されます。
ご神木や沢山の巨木が素晴しい神社さんです在宅であれば御朱印も頂けます。
ずっと通っています。
何よりここの大楠が好きだからなのですが。
この神社は気付かれないくらい、巨木に並ぶ大楠があったりもします。
神社そのものの風格も素晴らしいですが、巨木や楠が大好きな私にとってこちらはとても落ち着く場所です。
行く季節にもよりますが、ここら彼岸花が多く咲く神社でもあるので、お彼岸あたりの参拝もオススメです。
本殿裏の小丘陵上に前方後円墳がある。
神功皇后が三韓征伐を済ませ凱旋し、ここで軍隊を解散(大分 だいぶ)した。
その折仲哀天皇の遺体を仮に埋葬したというのがこの古墳と言われている。
説明によればだが。
そこでその説明を読んでみると「古墳埋蔵」(古墳を埋蔵するとはどのような意味なんだろう)と、しかも古墳の墳が憤慨の憤になっているのだ。
何故、建立する前に校正しないのだろう。
仮にでも埋葬されたかもしれん仲哀天皇は憤慨してるぞ。
これさえ抜きにすればいい所なんだ。
心安らぐ佇まいを見せている。
神功皇后が宇美八幡からショウケ越(応神天皇をショウケにいれて峠を越えたことからこの名がつく)を過ぎて大分宮に着く。
ここでも応神天皇は産湯をつかっているようだぞ。
あ説明を読むにつけ段々と腹が立ってくるのは我輩だけかな。
いい加減な事ばかりで好き放題書いているとしか思えない。
推敲したのだろうか。
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇だって憤慨してるぞ。
我輩の好きなところなんだが・・・うーむ、これさえなければな。
はじめて参拝させていただきました。
福岡市東区にある筑前国一宮 筥崎宮の元宮として知られる神社です。
御朱印もいただきました。
裏山にも祠があり鳥居に大神神社と書かれてました。
◎歴史ある素晴らしい神社です‼️よく、参拝させていただいてます‼️《田川の龍成館拳法道場の山下です👊💥⤴️》
嘉穂郡筑穂町大分(だいぶ)地区(飯塚市)の氏神様になります。
地元の方だけではなく広く参拝されるかたがいます。
名前 |
大分八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0948-72-0621 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
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筥崎宮の元宮⛩大きな楠木が御神木です。
境内には池もあり鯉が泳いでいます。
境内に駐車場もあり小さいトイレもあるようです。
段差もあまりなく参拝しやすいです。
ただ宮司様はご不在が多いようで御朱印がなかなかいただけません。
😅書き置きも無かったです。
社務所のサッシの鍵は開いておりお守りや御朱印帳(御朱印付)ありますが、お金の入れ場所もなく、賽銭箱にという書き込みもなくご自宅も不在のようでした。
御神木のパワーは、頂けたので参拝して良かったです😊😊