志免町のランドマークでもありますもと炭鉱の竪穴へ潜...
旧志免鉱業所 竪坑櫓 / / .
国内現存唯一のコンクリート造の炭鉱櫓。
世界に3ヶ所しか現存しない、戦前に建てられた竪坑。
周囲はある程度の距離でフェンスが建てられているものの、周囲をぐるっと回る事が出来る。
横の道を通る時に大きく感じていたが、近付くと本当にでかかった。
2021年4月30日現在、絶賛工事中でした。
それでも結構近くまで近づくことができます。
保安工事中で外観はあまり見えず。
炭鉱で栄えた街も今や福岡市のベッドタウンとなりました、志免町のランドマークでもありますもと炭鉱の竪穴へ潜るための遺物です。
なのですが、行ってみたところ、産業遺産化に伴う耐震補強等工事のため、櫓は全く見えませんでした。
ぎゃー。
周囲には封鎖されている横穴もあり、かつての炭鉱をかなりの近くで見ることができます。
現在は周辺は公園やグラウンドになっていますが、時代が移り変わり、辺りは憩いの場になっても街を見守る姿はきっと壮観なのでしょう。
改修工事が終わり次第、また行ってみたいと思いました。
保存する為の工事がまだまだ終わってなくて全体が見えなかった。
特徴的な建造物であり、廃墟や炭鉱史跡などが好きな人なら必見です。
これが住宅地の中にあるのがまた面白いですね。
ちなみに福岡空港から離陸する飛行機の中からでも、運が良ければちらっと見ることができます。
「あの奇怪な建物は炭鉱施設だった。
」一時期ゾンビの塔などと物騒な名前を付けられていた福岡県志免町にある石炭抗、旧志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)(写真)志免鉱業所竪坑櫓は遠くからでもよく見える、福岡県志免町のランドマーク的存在の遺構です。
高さ53mにもなるこの縦坑櫓は鉄筋コンクリート構造のワインディング・タワー型と呼ばれるもので、国内でこのタイプの縦坑櫓が現存するのは唯一ここだけです。
この櫓の下には地下430mの縦坑があり、櫓上部に直接据え置かれた1000馬力の巻き上げ機で昇降を行っていました。
この志免鉱業所は明治22年に海軍が軍艦の燃料である石炭を確保するために開設したもので、現在残っているこの竪坑櫓も、昭和18年に日本海軍により建造されました。
終戦後は国鉄所有の鉱業所になりましたが、他の炭鉱と同じくエネルギー革命により昭和39年に閉山。
最初から最後まで“国営”という珍しい炭鉱でした。
その後NEDO(新エネルギー産業技術総合開発機構)の所有になり解体の話も出たりしましたが、住民の保存運動が実り現在「見守り保存」という形になっています。
土木学会から「近代土木遺産評価Aランク」、産業考古学会からは「推薦産業遺産」に認定。
現在はNEDOから無償譲渡され志免町の所有。
(九州ヘリテージより引用)一時期には行政も町議会も町民も櫓の取り壊しに賛成だったと聞きました。
保存運動に参加された人々に頭が下がります。
改修工事が始まり足場やネットで中が良く判らなかった。
改修後に期待です。
スケッチブック~full colorsの聖地といえばここ。
現在保存のための改修工事が行われていて近くには行けません。
確かに建物の上の方はかなり傷みが激しくなっているようです。
そばにある斜坑入口は近くまで行けるんですけどね。
旧海軍の竪坑巻き揚げ機の櫓として建てられ、その後国鉄の炭鉱として操業した由緒正しい日本の産業遺産です。
永く遺して欲しいですね。
32年ぶりに福岡に戻りましたが、重要文化財になっていたのが喜ばしい。
昔は幽霊棟と呼ばれており近くのボタ山は草木はなくハゲ山だったと思います。
産業の発展に貢献した炭鉱の文化遺産は大事にして欲しいものです。
2020年10月まで保存修理中みたいです。
でも、鉱業文化財としての迫力ありますね。
雨の日とかに見学したら異様な光景を感じられるかも。
ここら辺の丘ってもしかしてボタヤマ?日本の鉱業の繁栄と衰退感じられました。
隣の遊び場とアンバランスが面白い。
創作等で時々出てくる有名な廃墟です。
ただし福岡市民にはほぼ知名度がないのが少し不思議。
2020年11月頃まで補修工事が行われているようです。
何年前だろうか?日本各地の廃墟に侵入して撮影などを行うのがブームになった時期があった。
そんな中 この竪坑廃墟もマニアの不法侵入を許してしまう。
マニアが出没するようになった廃墟は安全や治安のために取り壊されるのが運命だ。
私はこの場所に思い入れがあったので「ついにここも取り壊しかぁ」と落胆したのを憶えている。
ところが2007年あたりから、この場所は有形文化財、重要文化財、産業遺産に指定される。
一帯は運動公園として整備され、斜坑口を好きな角度から見ることができるようになり、竪坑も(安全が確保できるギリギリの範囲まで)近付いて見学できるようになった。
まさかこんな日が来ることになるとは…志免町グッジョブ!これで名実ともに志免町のランドマークとなった。
旧志免鉱業所竪坑櫓、長年来たかった場所です!全長48㍍、圧巻のコンクリート構造物。
一周ぐるりと眺められます。
すぐ脇に公園があり子供たちが遊んでいる、静かな場所。
周囲の御寺さん回りも煉瓦の塀があり歩いていてたのしい。
旧志免駅の駅舎跡も近くにあるので是非。
隣接のシーメイトではほぼ毎週、地域の文化交流イベントや、絵画などの展示会が行われています。
温泉もあり隣のグラウンドでスポーツ後に汗を流すことも出来ます。
敷地内の公園にはちょっとした遊具もあり週末は子供連れの家族で賑わいます。
近代建設技術史上価値が高いものとして、国の重要文化財に指定された。
「国営炭鉱」志免鉱業所の採炭夫を昇降させ、石炭を搬出するための建物。
わかりやすく言うと巨大なエレベーター。
その非現実的な佇まいが独特の美しさと人気。
私がここをはじめて訪れたのは、2005年8月でした、当時はまだ文化財の指定がされておらず、直ぐ近くまで寄っていける、所謂見守り保存状態でしたね。
現在は周囲が綺麗に公園として整備されていますが、2005年当時は雑草が生い茂るまさに廃墟のようでした。
当時から価値ある近代産業遺産がこのまま打ち捨てられてしまうのは本当に惜しい事だと思っていたので、文化財として指定された事は誠に喜ばしき限りです。
旧日本海軍が関わった建造物としては長崎の針尾送信所も有名ですね、あちらは更に大正まで遡りますのでそろそろ100年くらいになりますが、風化や劣化がほとんど無くしっかりと立っています、当時から旧日本海軍は良質なコンクリートと鉄骨を惜しげも無く投入していたからこそ今の時代まで残ったのだと思います。
※2005年8月に撮影した画像をアップします。
・2007年(平成19年)7月31日に国の登録有形文化財に登録・2009年(平成21年)12月8日、国の重要文化財に指定竪坑櫓とそのすぐ近くに残されている斜坑口(第八坑連卸坑口)、国鉄勝田線跡地(志免駅跡である志免鉄道記念公園ほか)などが「志免鉱業所関連遺産」として経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。
本で知り、観たい、の、衝動に駆られて夜走って観に行きました。
想像以上の大きさに圧倒去れひと回り携帯で写真に撮った後一眼レフを用意して撮影して、太刀洗に向かいました。
とても大きな構造物で、遠方からでもすぐにわかる。
住宅街にあり、異質な雰囲気。
案内板もあり、歴史を学ぶことができる。
1943年完成と、思ったよりも新しい建物だった。
もう少し近づければ更に嬉しい。
また、図面だけでは分かりにくい部分を模型で展示する等、坑道内部の形状・規模が分かりやすければ尚嬉しい。
旧炭鉱の竪坑跡。
周辺は公園緑地として整備されているのか夕方の来訪でしたが、ジョギングや散歩をされている付近の住民と思しき人が多かった。
これだけ保存状態がいいのに明治日本の産業遺産として世界遺産のリストから外れているのは残念。
というか不思議。
歴史が感じられる。
日本人よりも海外の人たちの反応が好評!
夜は怖いので注意。
歴史があり、とても勉強になるが、近くにまでは行けない。
名前 |
旧志免鉱業所 竪坑櫓 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
092-935-7100 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
ずっと前から見たかったこの廃墟。
不思議な形に癒やされます。
保存してくれてありがとうございます。