遍明院峠付近の地蔵堂にあった38番と共に禅光院境内...
第24番 下村 禅光院観音堂本尊:如意輪観音もと屋戸の石崎社と加茂社の中程にあった地蔵堂におかれていた24番は、遍明院峠付近の地蔵堂にあった38番と共に禅光院境内の観音堂に移された。
堂内向かって右側に24番、左側に38番がまつられている。
禅光院はもと菩提寺と称した。
明治維新の際は、ここに八幡隊が駐屯していた。
その後廃仏毀釈により一時廃寺になり善城寺に合併されたが、明治2年(1869)防府多々良の国分寺塔中にあった禅光院を移し旧寺を再興した。
禅光院初代密道法印の尽力による。
境内及び建物など、菩提寺そのままが現在に受継がれていて、本堂は元禄時代の作という。
四国霊場の本尊は虚空蔵菩薩である。
----第38番 下村 禅光院本尊:如意輪観音38番は、もと遍明院付近の地蔵堂にあった。
その地はコミュニティセンター(旧山口農校秋穂分校)東側にある円城比丘の供養塔の地で、地蔵堂が無住で廃壊となり、禅光院に移された。
現在は24番と共に禅光院境内の観音堂にまつられている。
四国霊場の本尊は、千手観音である。
名前 |
禅光院・観音堂(秋穂八十八箇所霊場 二十四、三十八番札所) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
御本尊は、24番・38番ともに如意輪観音です。
お堂の脇にある大きな宝筐印塔は、元文5年(1740年)天教法印が造ったもので、歴史のある立派なものです。