谷山神社(八幡宮)さんから歩きました。
樹齢1100年と推定されるイチイカシがあり、古賀市の「未来に残したい巨木」に選ばれています。
また、社叢は福岡県天然記念物に指定。
2021年4月中旬、ツツジの花が綺麗に咲いていました。
小さな境内社がいくつかあります。
谷山神社(八幡宮)さんから歩きました。
神功皇后伝説に想いを馳せながら…
神功皇后伝説の一つを訪ねたわけだが、小山田の地名にひかれた。
我が地元にも小山田があり住吉神社がある訳だが、この地が本物と思いたい。
境内は鬱蒼と木々が茂り大事にされてきた事だろう。
仲哀紀に曰く。
九年春二月、足仲彥天皇、筑紫橿日宮に崩る。
時に皇后、神の教へに從はずして天皇の早に崩るを傷み、以て爲すは、知る所崇むる神の財寶國を求め欲すと。
是を以て、群臣及び百寮に命じ、以て罪を解き過ちを改め、更に齋宮を小山田邑に造る。
神功皇后が小山田邑に造った斎宮が、当社の前身であるらしい。
三月壬申朔、皇后吉日を選び、齋宮に入り、みずから神主と爲る。
則ち武內宿禰に命じ琴を撫で令め、中臣烏賊津使主を喚び審神者(さには)と爲す。
因以て千繒高繒に琴を頭尾に置き、請ふて曰く「先の日に天皇へ教へたまひし神は誰なるや、願はくは其の名知りたし。
」七日七夜に逮ぶや、乃ち答へて曰く「神風伊勢國の百傳ふ度逢縣の拆鈴五十鈴宮に居ます所の神、名は撞賢木(つきさかき)嚴之御魂(いつのみたま)天疎(あまさかる)向津媛(むかつひめ)命におはす。
」亦た之に問ひ「是の神を除き復た神の有り乎。
」答へて曰く「幡荻穗に出づる吾也、尾田吾田節の淡郡に居ます所の神、之に有る也。
」問ふ「亦た有り耶。
」答へて曰く「於天事代(あまつことにしろ)於虛事代(そらつことにしろ)玉籤入彥(たまくしいりひこ)嚴之事代主(いつのことしろぬし)神、之に有る也。
」問「亦た有り耶。
」答曰「有る無し之を知らず。
」是に於て、審神者の曰く「今答へずして更に後の言有り乎。
」則ち對へて曰く「日向國なる橘小門の水底に居ます所の、水葉も稚やかに之へ出で居す神、名は表筒男・中筒男・底筒男神、之に有る也。
」問「亦た有り耶。
」答曰「有る無し之を知らず。
」遂に神の有るやを言はず。
時に神の語るを得て、教へのまにまに祭る。
表筒男・中筒男・底筒男神は住吉三神の名で、古事記では「此時其三柱大神之御名者顯也」と注釈があり、博多の住吉宮ではこれを創建とする。
こんな一大イベントをやったにしては、当社は香椎宮から遠く水場もなく手狭で、何か違う気もする。
古事記には「小山田邑」も「齋宮」もなく、筑紫訶志比宮で全て完結したように書いているから、尚更そういう印象。
行ってみると薬王寺温泉入口の近くで、元宮は田んぼの中らしく、いよいよ意味がわからない。
仲哀紀に曰く。
九年春二月、足仲彥天皇、筑紫橿日宮に崩る。
時に皇后、神の教へに從はずして天皇の早に崩るを傷み、以て爲すは、知る所崇むる神の財寶國を求め欲すと。
是を以て、群臣及び百寮に命じ、以て罪を解き過ちを改め、更に齋宮を小山田邑に造る。
神功皇后が小山田邑に造った斎宮が、当社の前身であるらしい。
三月壬申朔、皇后吉日を選び、齋宮に入り、みずから神主と爲る。
則ち武內宿禰に命じ琴を撫で令め、中臣烏賊津使主を喚び審神者(さには)と爲す。
因以て千繒高繒に琴を頭尾に置き、請ふて曰く「先の日に天皇へ教へたまひし神は誰なるや、願はくは其の名知りたし。
」七日七夜に逮ぶや、乃ち答へて曰く「神風伊勢國の百傳ふ度逢縣の拆鈴五十鈴宮に居ます所の神、名は撞賢木(つきさかき)嚴之御魂(いつのみたま)天疎(あまさかる)向津媛(むかつひめ)命におはす。
」亦た之に問ひ「是の神を除き復た神の有り乎。
」答へて曰く「幡荻穗に出づる吾也、尾田吾田節の淡郡に居ます所の神、之に有る也。
」問ふ「亦た有り耶。
」答へて曰く「於天事代(あまつことにしろ)於虛事代(そらつことにしろ)玉籤入彥(たまくしいりひこ)嚴之事代主(いつのことしろぬし)神、之に有る也。
」問「亦た有り耶。
」答曰「有る無し之を知らず。
」是に於て、審神者の曰く「今答へずして更に後の言有り乎。
」則ち對へて曰く「日向國なる橘小門の水底に居ます所の、水葉も稚やかに之へ出で居す神、名は表筒男・中筒男・底筒男神、之に有る也。
」問「亦た有り耶。
」答曰「有る無し之を知らず。
」遂に神の有るやを言はず。
時に神の語るを得て、教へのまにまに祭る。
表筒男・中筒男・底筒男神は住吉三神の名で、古事記では「此時其三柱大神之御名者顯也」と注釈があり、博多の住吉宮ではこれを創建とする。
こんな一大イベントをやったにしては、当社は香椎宮から遠く水場もなく手狭で、何か違う気もする。
古事記には「小山田邑」も「齋宮」もなく、筑紫訶志比宮で全て完結したように書いているから、尚更そういう印象。
行ってみると薬王寺温泉入口の近くで、元宮は田んぼの中らしく、いよいよ意味がわからない。
神功皇后伝承地仲哀天皇に祟った神を知るため七日七晩祈った。
神主は皇后、琴を武内宿祢が弾き審神者は中臣烏賊津使主が務めた。
またこの地で田油津姫に暗殺されそうになった。
近くに聖母屋敷と呼ばれる古宮跡があったそうだ。
御祭神天照大神・建布都神・事代主神・住吉三神・神功皇后斎宮伝承地は久山の斎宮と同じとなる。
が、仲哀天皇崩御前後の状況を考えれば香椎宮からかなり離れるこちらに緊急的に避難したのだろう。
その後伊野天照大神宮に神々を祀り奉斎してきた人々を納得させ久山に移ったと考えると筋が通る。
当社の社叢は県天然記念物に指定され立派なイチイカシが御神木となっている。
神功皇后は仲哀天皇の崩御の原因を調べようと小山田斎宮(おやまだいきつのみや)に祭壇を設けたと伝わる。
祭神: 事代主大神 健布都大神 天照大御神 住吉大神 息長足姫尊(神功皇后) 神功皇后を暗殺しようとした山門郡に居たとされる土蜘蛛「田油津姫(たぶらつひめ)」は、ここ小山田斎宮で捕えられて殺されたという伝承もあるそうである。
参道の階段の両側の木が大きくなって、門の様になっています。
新緑の時期はいい感じです。
名前 |
小山田斎宮 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
092-940-2683 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
由緒あるお宮でした。