薬王寺の、裏から、軽登山出来る。
村社 白髭神社 粕屋郡小野町大字薬王寺字屋敷祭神猿田彦命,大雀天皇由緒不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に曰く筑前続風土記,拾遺に,白鬚神社,村の東に在産神なり。
祭礼九月二十五日と有,今は十月十七日と成れり,其前後十六日は毎年御神幸式あり,特に獻饌として大膳十二膳小膳十膳を供ふる如き賑々しき古式の式奠なりと。
例祭日 十月十七日神饌幣帛料供進指定 昭和十六年一月十八日主なる建造物 本殿,弊殿,拝殿,鳥居,寳藏庫,参籠殿等主なる寳物 布目瓦境内坪数 七百八十八坪氏子区域及戸数 小野村大字薬王寺 六十五戸境内神社徳満神社(少彦名神)貴船神社(闇龗神)山王神社(大己貴神)須賀神社(素盞嗚神)山神社(大山祇神)疫神社(八十禍津日神)福岡県神社誌 上巻ーーーーーーーーーーーーーーーー薬王寺白髭神社 古賀市薬王寺1120番地薬王寺区の産土神である本社は,薬王寺集落の東端,椎,樫,椿などの照葉樹と椋の木の林の中に所在し,北側の渓流を遡れば薬王寺温泉へ,中途から右へゆけば薬王寺廃寺があります。
祭神猿田彦の命(さるたひこのみこと),大雀天皇(おおささぎのすめらみこと)(仁徳天皇のこと)と『福岡県神社誌』にあります。
『筑前国続風土記附録』には,「白髭宮は,産土神なり,猿田彦命をまつる。
鎮座の初め詳ならず。
」とあり,神社の宝永7年(1710年)の棟札には,若八幡宮と白賀大明神の名がみえます。
また,全国の村の鎮守級の神社神職の任命権を持つ吉田家から,社家の大司家への正徳4年(1714)の許状にも白賀大明神と記されていますので,この白賀大明神が白鬚神社の原号であったと考えられ,薬王寺には小字の中にシラガ田も残っていることがそれを証しているといえるでしょう。
(『古賀町史』)本社はもと,現在地の南の社家尾の山上にありましたが,長元9年(1036)7月,山上に異変があったことなどが伝えられていています,現在の神殿は棟札の時のものと考えられます。
神殿とその彫刻は市内で最も古く,龍の彫刻・蟇股(かえるまた)の鹿や五位鷺(ごいさぎ)の彫刻・象の木鼻(きばな)・海老虹梁(えびこうりょう)・懸魚(けぎょ)など優れた建築の技が随所に見られます。
特に阿吽(あうん)の龍は背中に鰭(ひれ)があり,薦野の天降神社(あまふりじんじゃ)のよりわずかに10年前のものですが異色です。
境内にはもと薬師堂がありましたが,明治維新の廃仏毀釈の際,近隣の東前寺へ移されました。
現在も10月の御祭の御神幸の前にお参りする習わしです。
その他境内には古い井戸(神泉)の跡や宝永4年(1707)の銘のある手水鉢も残っています。
また絵馬には,郷土の絵師薄景月画になる,乃木大将とステッセルの「水師営会見図」(明治44年(1911))等があります。
れきしのアルバムH24・3・30〈改訂版〉発行 古賀市教育委員会 歴史資料館ーーーーーーーーーーーーーーーー村社白髭須神社 薬王寺字屋敷・祭 神猿田彦命 大雀天皇(オオザサギスメラミコト)(竹内宿禰郡)・由 緒筑前国続風土記拾遺に曰わく,白鬚神社,村の東に在産神也。
猿田彦命を祭る,祭礼九月二十五日云云と,社説往古は社家宅に鎮座有,後今に移せりと云ふ,古刹薬王寺社僧なりし時代は,神田も数多く有しが,今日白髪田のみ残りて,毎年新嘗祭神幸式の時,大小二十膳の種々なる献供物を調進するを例とす。
奈良朝時代の布,白丸赤青の丸平数板を蔵す古社なり。
外略之。
小野村史 p.138ーーーーーーーーーーーーーーーー(福岡県地理会誌に記載されている内容をあげる)・白鬚神社本殿一間三尺四方,弊殿横一間半,入一間,拝殿二間三尺,入三間半,社地千坪,本村にあり。
祭神猿田彦命,祭日九月二十四日 或記に此社号を白賀に化すと云ふ。
村内の田字に,白髪田あれば古名しらがにて今白髭と云ふは白髭の字に似たるよりまちがへなるへし。
末社三 疫神社(社地)貴船神社(宮尾日吉神社(社地小社四須賀神社(鬼王)愛岩神宮(松峰)菅原神社(魂鬼王)山神社(すしの尾口)小野村史p.140
薬王寺の、裏から、軽登山出来る。
薬王寺温泉に向かう途中の道にあります。
いかにも町の神社といった感じでひっそりと佇んでいます。
名前 |
薬王寺白鬚神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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立派な神社でした。