御朱印いただきました 書き置きタイプです。
境内の池が湧水。
湧出点は見たところわからなかった。
池にはたくさんの鯉たちが泳いでいて、いい水場ではきっと住み心地もいいんだろう。
由緒のありそうな立派なお寺。
湧水ポイント。
大変寺域の広いお寺です。
この近辺の交差点に城山坂のようなものがありましたが、このお寺から、東上線を超えた高台に、城跡があったようです。
名前もない、地名での伝承しかないとのことです。
御朱印は手書きの場合は御朱印長を預けたうえでのご対応とのことでした。
またここにすぐ来れる距離ではないので、書置きをお願いしました。
サイズは見開きとなります。
埼玉県和光市にある 天台宗の由緒ただしいお寺です。
裏に広大な墓地があり、檀家さんが多いのが分かります。
広い本堂で、法要が出来ます。
晩秋には、銀杏の黄葉が、とても綺麗です。
創建年代は不詳ですが、江戸時代初期には寺院として成立していたと云われています。
とても綺麗に整備されたお寺です。
延命地蔵の足元の天使の像が印象に残りました。
駐車場あります。
なんか、所業が悪いなんて書いてる人がいるが、自分の家の菩提寺を悪く書かれるのは面白く無い。
(諸行なんて誤字使ってたし) 一説によるとか白子の名は、この寺に伝わる[白衣童子]というお話しが由来になってるけど、白子という名は、奈良時代に朝鮮の新羅の人を住まわせて、新羅郡(しらきごおり)を置いたが、当時の地元の訛りにより、都から来た役人には、しらきが、しらこに聞こえたのが原因。
古文書にも奈良時代の記録として記されていて、地福寺が建立されたのは平安時代の中期なので、間違いということになる。
枕返し地蔵の逸話があり興味深いです。
尊恵(そんね)というお坊様が旅の道中に病に伏して、回復後に夢の中の白衣童子(びゃくいどうじ)のお告げに従い、この地でお寺を開くことになったとか。
他の見所として、筆塚があります。
筆塚は、江戸時代、寺子屋の弟子が師匠の為に立てた供養塔の様です。
境内には、富沢太郎左衛門の筆塚があります。
白子村の名士の生まれで、報酬を期待せずにボランティアで村民に尽し、近村庶民の尊敬を集めていた様です。
お寺の対応が悪い書き込みがありますが、私の時は、質問にも丁寧に答えてくれました。
感じの良いお寺です。
寺の印象は良いです。
住職や関係者の対応には問題があります。
表裏一体です。
年甲斐のない素行を目にすることもあります。
今年の夏に行われた行事では別の寺からお手伝いに来た僧侶が散歩していたかわかりませんが袈裟を着て歩きタバコをしており、側溝に吸い殻を捨てていたのを目にしました。
最近は寺や神社に勤める者の諸行が悪いですね。
名前 |
地福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-461-2032 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
駐車場から本堂の下迄はスロープがあり車椅子でも行かれます。
高台にあるので本堂からの眺めが良かったです。
境内の脇を東武東上線が通っていますので電車の鑑賞もできます。