旧白子村鎮守、熊野神社。
悪病退散という幟を見てお参りしました。
境内の巨大な銀杏が見事でした。
熊野神社ですから紀州和歌山の熊野三山と関係があるのでしょうね。
質実剛健な社殿もいい感じです。
神社には、富士山🗻をのぼったぐらいの山があります。
もう一こ山があり山をのぼり左に行くとどうくつがありなかには、おきもののきつねがいます。
😀😀😀😀😀😀😀😀
今日は七五三で忙しく御朱印は書き置きでした。
玉串料は300円です。
社殿に向かって右手に富士塚があります。
境内に大きな銀杏の木があるので紅葉したら綺麗でしょうね。
無料駐車場が鳥居左側にあります。
きっとここの森には神様がすまわれていると思う。
そんな雰囲気。
雑木林とこんもりとした富士塚の緑が美しい。
魚の養殖場の先駆けという神社の裏の池がいかにも主がいそうな雰囲気。
洞窟に上がる道の手前に神社の裏から引いてきたと思われる湧水が流れ出ている場所がある。
手など清められるのでおすすめ。
残念ながら滝行ができる施設は厳重に囲ってあり見えない。
富士塚の横の階段からも湧水が少し滲み出て流れをつくっている。
昔は公園も隣接しており子どもの遊び場となっていた神社でした。
宮司さんは今でも感じが良い方ですが、ある時から奥さんが急に本業を退職されて副業だった神社業に執着したのか気が狂ったかのように子どもがいると目を光らせてちょっとしたことで注意してきます。
今はボール遊びはもちろん、縄跳びやおにごっこ、シャボン玉などほとんどダメです。
非常識な行動ならともかく、子ども達の遊び場が減っている中、地元の子ども達を受け入れてほしいですね。
子供の頃、こちらの敷地付近にあった幼稚園に通っていたので、久しぶりに行って懐かしい気持ちになりました。
社務所の方が親切に冨士塚のことを教えて下さり、登ってみました。
冨士塚は自由に入山できるそうなので、気軽に登れます。
今から1300年ほど前の7世紀頃には百済、新羅、高句麗の人々がたくさん日本に来ていました。
その当時、新羅から武蔵、駿河の国等に来ていた人々は、白村江の戦いから24年後の687年から現在の埼玉県の一部に集められ始め、758年には武蔵の国に新羅郡(シラギグン)が置かれるようになりました。
その後、新羅郡は時代が下るにつれて新座郡(ニイクラグン)に変わって行きますが、新羅の名前は志木が志楽木(シラギ→シラキ→シキ)、新座(シンクラ→ニイクラ→ニイザ)、新倉(シンクラ→ニイクラ)へと文字も読みも変わって行きます。
新羅はシラとも読まれ白子は新羅の子、つまり新羅の人という意味かも知れません。
山形県には古くから米沢の守り神として、高い格式を持つ白子神社が有りますが、こちらは創建が712年で白村江の戦いから50年後との事です。
また、当時新羅と交戦状態にあった高句麗の人々は716年に現在の日高市高麗(コマ)に集められました。
こちらには高句麗の王族も祀られた高麗神社があります。
※Wikipedia新座郡参照。
とても興味深い所です。
隣に白子富士が有りました。
又隣に真言宗のお寺も有ります。
白い御狐様をお祀りした胎内巡り洞窟が有ります。
滝行も出来るみたいでした。
白子宿の鎮守。
鳥居がある方が本来、白子宿があった方向。
明治時代に日本初の養魚場が設けられたそうですが、それは白子が台地のハズレで秩父の伏流水が湧いているからで、この辺りには湧水池がたくさんある。
富沢整形外科の駐車場にも湧いてるところがあるが、ブロック塀で遮断されている。
ここの本殿の真裏に池があり、そこを養魚場にしてたのか? 不動院清龍寺の滝行の水の水源になっている。
清龍寺には、胎内洞窟というのがあり、真夏に行くと天然のク―ラ―みたいで涼しい、でもなんでキツネの置き物が飾られてるのか? 一説によると、白子は江戸の初期に伊賀者に与えられた土地とされ、本能寺の変の時に家康が伊賀越えした時に、先導をつとめ、白子の浜から三河に戻ったことから、同名のこの地を与えたとか。
この伊賀衆が稲荷信仰だったので、白子にはお稲荷さんの祠があちこちにある。
神社にせよ、寺にせよ良い所と感じられる場所はある。
しかし、個人や夫婦で神職や仏職に携わっている者の対応が良いとは限りません。
神社の印象は良いです。
宮司や禰宜は裏と表の印象です。
そう感じるのは人によると思います。
加えて、10月にある祭礼は氏子や関係者の対応はあまり良くないです。
宮司の祭礼中に話しをしている失礼な者が多く見受けられます。
夏越の大祓をやっており、白子富士も山開きとのことで、限定御朱印を頂きました。
なお、白子富士は約11mあるようで、ぐるり一周出来ます。
ただ、神社入口はとても分かり難いです。
歴史についてはほかのレビューをご参照ください。
ちょうど4月末の御祭礼の時に参詣したので、境内は地元の老若男女で大賑わい。
乃木大将が、旅順攻撃の前に当社で滝行を修したという謂れがあるが、本日も行をしている人がいるのか、その滝への道は戸が閉まっていて見に行けなかった(が、あの地形からして自然の流水とは思えないのだが)。
洞穴巡りが面白いらしいのだが、お祭りなので多数が詰めかけると問題なのか、これも本日は公開せずとの掲示。
結局、富士塚に登っただけである。
それはそれでマニアには意味があるのだが、やはりお祭りを避けて、フルコースをご覧になることをお勧めしたい。
旧白子村鎮守、熊野神社。
和光市内に3社ある旧村社の一つです。
白子村は古くは氷川神社が鎮守だったといわれますが、いつの間にか衰退し入れ替わったようです。
宮司さんは普段はいらっしゃらないため、御朱印が頂けるのは主に祭事の時に限ります。
境内には富士塚もあり、山開きも行われます。
また、12月7日には酉の市も行われます。
「埼玉の神社」によれば明治40年に坂上の諏訪神社、牛房の八雲神社、市場の稲荷神社(豊川稲荷神社)と境内社の氷川神社は熊野神社へ合祀されましたがそれぞれの社地は残されたそうです。
宮司さんは京都の陰陽師の系譜である野火止氷川神社の家系です。
旧別当は隣の清龍寺です。
入口が非常に非常にわかりにくいが、境内は広い。
鳥居を潜ると、立派な森を背にした立派な本殿、これまた立派な富士塚が右側にある。
森の上方にマンションがあるものの、あまり気にならない。
本殿右脇にマンション方面へ登ることができる道があり、結構人通りはある。
左側には不動院と修行に使う滝があり、寺社共に積極的に活用されていると感じられる。
主祭神は伊邪那岐命・速玉之男命・事解之男命である。
また、途中から信仰が衰退していったと言われる氷川社の名残で、須佐之男命が合祀されている。
この他に、建御名方神、宇迦之御魂神、木花咲耶姫命が合祀されている。
私のような余所者が入りにくい雰囲気だが、地元の人たちに愛されている良い神社である。
名前 |
武州白子熊野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-462-8581 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
よく白子富士に登りに行きます。
人が多くて賑やかな時も、人がまばらで静かな時も、どちらも雰囲気が良くてまた行きたくなります。