孔大寺山北麓に鎮座する。
村社 大国主神社 遠賀郡岡垣村大字手野字森祭神 大国主命、須佐之男命、室大神由緒 不詳、創立延宝八年庚申七月 再建は宝永元年甲甲ならん 棟札二枚存す、明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日 八月一日、二日主なる建造物 神殿、幣殿、拝殿、鳥居境内坪数 三百六十八坪氏子区域及び戸数 大字手野 五十二戸境内神社天満神社(菅原神)金刀平神社(葦原醜男神、大山咋神)松尾神社(大山咋神)貴船神社(高龗神、闇龗神)疫神社(八十■津日神)磯崎神社(神功皇后)恵比須神社(事代主神)豊年神社(稚産霊神、宇賀魂神)厳島神社(市杵島姫命)弥栄神社(竹井氏祖神)梅宮神社(木花也姫命)福岡県神社誌ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー※宝永元年 1704年。
境内は意外と広く、大きな銀杏の木が印象的でした。
車で行く方は狭い道を通ることになりますので、ご用心を。
手野は古来『天野』とも呼ばれ、他の地域と同様、神功皇后伝説の由来がありますが、ここもそうです。
県道288号線から北側の今は田んぼになっているところは、古代は入海で潟でした。
この神社のあるところは、標高約27メートルに立地し、はるかな昔から鎮守の森であったことと思います。
大国主=大黒天であるので、この神社も別名として、かつては「大黒天社」と呼ばれていた時期もありました。
集落は北側に位置するのに対して、社殿と表参道の向きがすぐ山に当たるのにも拘らず「東向き」なのは、おそらく国津神の主宰神・大国主をお祀りする出雲大社に向けて日の出の方向に神威を臨み遥拝したためだからでしょう。
北側の裏参道は、北側の集落の人々の便宜のため短絡で作られたものと思います。
それ故に参道と鳥居が二箇所あるものと思います。
東側、北側参道共に未舗装路であり、少し離れた位置に車を止め、参拝したほうがよろしいと思います。
普段は静けさと厳かさがある神社です。
孔大寺山北麓に鎮座する。
山を境に反対側に位置する為か、堂々と大国主を祀るある意味潔い社である。
周辺山地は往古火山活動の活発な地域であったが、ぽこぽこと支峰に連なる小山を見ると理解しやすい地である。
古代の人々も神聖視したであろう三方をそういった山々に囲まれた山里に鎮座する。
社というかこの地域が神域であっただろうと、見る人が見れば分かるのだろう。
御祭神大国主命・素戔嗚尊・室大神ちなみにこの辺りは神功皇后が休憩し武具を忘れた伝承が残る。
旗を織らせた波津も近い。
室大神が誰か良く分らぬが、安徳帝ではないか。
大宰府から芦屋へ逃れる際に孔大寺山を越えた。
その時難儀した大雨を鎮めた五位の石が峰上にある。
参拝できましたことを感謝いたしております。
向きの異なる鳥居が2ヶ所ある。
社殿は一つ。
このようなことはよくあることなのだろうか?
名前 |
大国主神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
田園の中のイメージ通りの神社で、居心地がすごく良かったです。
駐車スペース広いですが、途中、荒れてます。