趣や佇まいが素晴らしい。
松平定信墓【国指定史跡】 / / .
大きな地蔵のある霊厳寺の本堂の脇にありました。
江戸幕府三大改革の一つ寛政の改革をやった人と学生時代に習ったのですが、その後、この方を時代ドラマで見かけたこともなく、そあんまりイメージがふくらまなかったんです。
墓前の説明読んだら将軍吉宗の子孫だったんですね。
勉強になりました。
名前 |
松平定信墓【国指定史跡】 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/15979.html |
評価 |
3.6 |
名君と呼ばれ、陸奥国白河藩主として天明の大飢饉における藩政の建て直しの手腕を認められ、老中に就任。
寛政の改革を行いました。
八代将軍 徳川吉宗の孫でもあり、将軍候補にもなりかけた人物でもあります。
また、その息子の真田幸貫も名君とも知られる人物です。
朱子学狂いとの印象が強い父親の定信公ですが、長男の真田幸貫は洋学者の登用に努め、あの佐久間象山を登用した人物です。
また、白川藩主は、次男であった松平定永が継ぎますが、定信の希望?通りに伊勢桑名藩へ転封され、幕末まで続き、幕末には一会桑政権の一つとして薩摩長州と幕末を戦った藩となります。
この霊巌寺では、最後の桑名藩主が鳥羽・伏見の戦いに敗れ、慶喜に従い江戸に逃げ帰った後に一時期謹慎したお寺でもあるそうです。
そう考えると、松平定信公という人物が別の角度で見えてきて面白いです。
墓所には入れませんが、お寺まで足を運んだ甲斐があったかなぁと思います。