天守の代わりとして使用された三重櫓です。
皇居ツアーを申し込むと最初に現れるポイントです。
どの方向からも同じように見えるそう。
石垣が圧巻です。
江戸城時代の巨大城の名残りの隅櫓です。
小さいお城の天守位はありますね!天下城らしく石垣の高さも凄く高いです。
‘櫓’とありますが、堂々たる立ち姿はとても立派です。
消失後の天守の代用とされるだけあるなと感じました。
遮るビル群のない江戸時代,ここから富士山が見えたのですね。
江戸城本丸天守閣が消失の後,江戸城櫓群の象徴としてあったのですね。
伏見櫓ともども往時がしのばれる美しい櫓です。
江戸城本丸の、南の隅に建たてられた、高さ16mの櫓。
櫓下の石垣は、高さ15mあり、三重の屋根を持つ櫓としては、江戸城で現存する唯一のもの。
もともと本丸には、巨大な天守があったが、明暦3(1657)年の大火で、天守も富士見櫓も焼失、天守は再建されなかったものの、富士見櫓は万治2(1659)年に再建され、以後は、富士見櫓が、天守の代用の役割を果はたしたと言いわれている。
今は、高層建築に遮られて富士山を見みることはできないとのことだが、、江戸時代には、将軍が、この櫓の中から、富士山、品川の海、両国の花火はなびなどを眺めることもあったそう。
皇居参観コースでは下から、皇居東御苑コースからは柵越しで、見る事ができる。
石垣を作ったのは、加藤清正公だそうです。
「野づら積み」というもので、自然石をそのまま積んでいるため水はけも良く堅牢。
関東大震災の時も崩れなかったそうです。
江戸城天守閣無き後の天守閣櫓の櫓です。
かなり良かったです。
いい感じです。
三重櫓。
関東大震災で倒壊しているため、まるっきり江戸時代の建造物とも言えませんが、部材などは再利用もしており、往時のようすをよく伝えています。
今後内部の一般公開が待たれます。
大天守なきあと実質江戸城の天守でした。
富士見櫓は明暦の大火で天守が焼失した後に、天守の代わりとして使用された三重櫓です。
江戸城のほぼ中央に位置しており、この場所は天守台についで高い場所であったことから、この富士見櫓が選ばれたそうです。
家康公が作った天守もこのあたりにあったそうです。
初代のものは1606年本丸造営工事の際に建てられました。
現在の富士見櫓は明暦の大火の後、1659年に再建されたものです。
関東大震災で倒壊しましたが、主要部材に旧材を用いて修復されたものが残っています。
皇居東御苑や皇居前広場からも見ることができますが、様々な角度から見られるという点で、「皇居参観」に参加するのがオススメです。
和英中3カ国語のガイドツアーが軽妙な語り口で解説してくれます。
(皇居参観については、桔梗門のコメント欄に詳しく掲載されています。
)桜、蓮池濠、新緑の芝生、紅葉・・・四季折々の自然の中で少しずつその表情を変えていきます。
かつてはその名の通り富士山を眺めることができましたが、高層建築物に阻まれて想像を膨らませて見るしかありません。
それでも、長く江戸・東京を見守ってきた史跡の風格は、建築当時と何ら変わらないでしょう。
東京駅から皇居を見たときに正面に見えます。
名前 |
富士見櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3213-1111 |
住所 |
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関連サイト |
https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/koukyo/place03.html |
評価 |
4.4 |
清正公が建てた打込接の石垣(と、ガイドの人は説明してたけど、これ野面積なんじゃないのかなあ、、、、、)。
櫓自体は明暦の大火でほとんど消失したものの再建された。