古代史の戦場跡ですが、護岸等がない風景を空想するの...
古代史の戦場跡ですが、護岸等がない風景を空想するのみです。
一万人規模の兵力が展開するほど広くはない場所です。
実際はどうだったのか、今となってはわかりませんが気になります。
決戦!板櫃川740年に勃発した藤原広嗣の乱において、佐伯常人ら率いる朝廷軍6千と藤原広嗣率いる叛乱軍1万が対峙した場所ですが、今あるのはただ看板のみ。
総戦力は朝廷側1万7千、広嗣側1万数千と古代史において壬申の乱に次ぐ大乱のはず…ですが、広嗣側が勅使との問答ののち弓を射かけられ雲消霧散、広嗣らも逃亡しあっさりと勝敗が決しました。
広嗣は勅使との問答で叛乱ではない旨の弁明をしていますが、史書において朝廷側の動揺が見られない事や、広嗣軍の動きが当初より緩慢、かつ不平隼人を金銭で動員していたことなど、実際に広嗣側には交戦意思が無く、現代で言うところのデモに近い感覚だったのかもしれません。
デモに日当が出るのは今も昔も変わらないようですが、官軍が「参加者は家族まで死刑ね」とか言い出したらそりゃ逃げちゃいますよね。
名前 |
板櫃川古戦場 |
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ジャンル |
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電話番号 |
093-582-3339 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
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閑静な住宅街の中に古戦場跡がありました。