武内宿禰が陣を敷いたことから陣原という。
3号線沿いにある神聖な場所。
陣原地域の神社ですよ地域密着型ですよ。
境内に公園があり、子連れで来てもいいかもです。
社務所がないけど、地域の方々?が清掃してみたいで綺麗でした。
手水や無し。
『旗頭神社由緒創建 大永二年(一五二三)祭神 武内宿禰志賀三神 住吉三神大国主命 事代(コトシロ)主命麻生興春神霊二千余年の昔応神天皇は武内宿禰に筑紫路の人民視察を命ぜられた 命を奉じた武内宿禰が洞の海を過ぎるとき西北の方に怪しい声がするのでこの地に陣を構え警戒を厳にした 陣原の地名はこれによると言い伝えられている 明応 永正の頃(一四九二~一五二◯)黒崎花尾の城主として遠賀一円を領有していた麻生興春が花尾城から山鹿城に移るとき陣原の里でしばしいこい この亀山の地は殊の外眺めがよく花尾の本城も望むことができる 没後はこの地に葬るよう家臣に言い残して旗を指し立てて標とした 大永二年(一五二三)興春の遺志によって旗指社が創建された慶長十一年(一六◯六)黒崎城山の城主井上之房は敬神の念が篤く特に武内宿禰の徳を敬慕していたので社殿再興が行われ 之房が住いを陣原に移す頃旗頭社と呼ばれ陣原の産土の社として広く尊崇された その後長年の風雪と共に老朽も加わったので幾度か加修改築が行われたが文久二年(一八六二)の社殿造営で今日に至った旗 頭 神 社 奉 賛 会 』
武内宿禰の陣営となる。
生憎埋立てが進み当時の地形が理解しにくいが、遠方から見ると洞海湾を見渡せるなだらかな台地だったろう事が伺える。
この辺りから東側への鹿児島本線北側はほぼ洞海湾の浜や岸壁だったと思えばこの地に陣営を敷いたのが理解しやすい。
御祭神武内宿禰・志賀三神・住吉三神・大国主命・事代主命・麻生興春神霊秋には朱の玉垣に映える大銀杏の黄葉が3号線沿いで見事に色付く。
駐車場有、ご朱印はいただけませんでした宮司さんは不在でした駐車場は3号線上り(北九州方面行き)側しか入れません感じの良い神社でした。
境内の地面に真っ白いキノコが生えてました^^;結構大きかったです写真UPしてますので見てください^^
武内宿祢の陣跡に建つ神社。
神功皇后に関わる伝承地の一つになります。
路線バスを利用して訪ねました。
駐車場有、ご朱印はいただけませんでした宮司さんは不在でした駐車場は3号線上り(北九州方面行き)側しか入れません感じの良い神社でした。
境内の地面に真っ白いキノコが生えてました^^;結構大きかったです写真UPしてますので見てください^^
自分的には、こーゆー神社大好きだな💓(^.^)✨
武内宿禰が陣を敷いたことから陣原という。
麻生興春墓所とも。
名前 |
旗頭神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
〒807-0821 福岡県北九州市八幡西区陣原5丁目10−64 |
評価 |
3.7 |
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現在は「陣の原」だが、元は「イクサバル」でした。
三韓征伐から凱旋した神功皇后に従った武内野宿禰が陣営を張った場所です。
Carlos