吉田松陰が萩から北浦海岸を視察して赤間関にやって来...
代々の関門海峡の水先案内人のお宅で、幕末、吉田松陰が萩から北浦海岸を視察して赤間関にやって来た時に宿泊しています。
海峡の安全を守る 強制水先案内区域 (明治以降の近代水先案内)全国の重要な港湾のうち、水先案内人(パイロット)の操船する区域が30箇所あり、関門海峡もその一つです。
関門海峡は、航路が狭いうえに、潮流の変化が大きく、さらに航路が「S」の字形になっているため、難所であり、強制水先案内区域となっています。
そのため、外国船は300トン以上、国内船は1000トン以上の船舶は、必ず水先案内人による操船が、強制されている地域なのです。
水先案内人は、海峡の西から入港する船は六連島、東から入港する船は部崎の沖から船に乗り込みます。
乗り込む時は、停止している船ではなく、動いている船にパイロット船から、縄梯子を伝って乗船のため、大変な危険をともなうものです。
晴雨、風の強弱、昼夜にかかわらず、通航、入港する船の操船は、大変な仕事ということができます。
明治時代から、この制度はありましたが、最初のころは操船能力が日本人にはなく、通航船舶も外国船が多かったことから、外国人を雇っていたのが実情でした。
そして外国人は、六連島に居住していました。
六連島は「アルコール漬けウニ」の発祥の地として、よく知られていますが、これも、水先案内人をする外国人が持ち込んだ、ウィスキーが発想の原点になったものです。
(300トン以上、1000トン以上の規定は、平成14年中に改定される見込みです。
)安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)より。
名前 |
関屋松兵衛旧宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
吉田松陰宿泊地。