昔は此処がおいらん道中の出発地でした。
赤間神宮小門御旅所(安徳天皇殯斂地) / / .
安徳天皇の御遺骸が海から引き揚げられて安置されたところです。
------------小平家(こべけ) 壇ノ浦の合戦で命からがら逃げのびた平家の官女たちは、彦島や伊崎などに秘かにかくれて住んでいた。
やがて源氏の追っ手の者も数少なくなり、梅雨が過ぎ、夏が本格的な暑さとなったある日、官女の一人がそっと浜辺に出てみると。
何百、何千という蟹の大群が浜辺を這い回っていた。
女は驚いて、みんなを呼び集めたが、ゾロゾロと出て来た女たちは、それぞれに蟹を掌に乗せてみて、一斉に叫び声をあげた。
「まあ、驚いた。
この蟹には、人間のような顔がある。
しかも、恨めしそうに涙まで流して…」 そのおびただしい蟹の大群は、どれを取っても、甲羅には人の顔、それも武士を思わせるようなりりしい顔がはっきりと浮き出て、目と思われるあたりからはボロボロと涙のような雫が落ちていた。
「本当に、どうしたことでしょう。
この蟹たち、みな泣いているようネ。
それにしても、この怒ったような、悲しいような顔、なんだか、こわいみたい」 女たちが口々にそんなことを言っていると、掌の一匹の蟹が、小さな声で、それでもはっきりと人間の言葉で話しはじめた。
「我々は、本当は蟹ではない。
ついこの間まで、お前たちと苦楽を共にして来た平家の一門だ。
あの日、壇ノ浦で、天皇様のお供をして海へ飛び込んだが、どうにもくやしゅうてならん。
我々を滅ぼした源氏が憎うて、このままでは到底、成仏できん。
それで今は、蟹に身を変えて鎌倉打倒の機会を待っているのだ」 それを聞いた女たちは一斉にシクシク泣き出した。
「知らないこととは言いながら、ほんに、おいたわしいこと。
それに引きかえ、私たちは、こうして彦島に隠れ住んでいますが、毎日をひっそり生きてるだけで、本当に申し訳ないことです」「そうです。
これから私たちも、源氏を倒すために、何かお役に立つことを考えましょうよ」 その時、一人の女がこう言った。
「私たちは、蟹ではなく、魚になりましょう。
そうだ、魚の王様、鯛になりましょう。
そして生きている人びとに食べられることによって、私たちの怨念を人間に乗り移らせるのです」「そうよ、私たちのような可弱い女には、源氏を滅ぼす良い方法といえば、それしかありませんね」 女たちはまたたくまに同意して、多くの蟹たちが心配げに見上げる中を、次々に海に入っていった。
彦島と下関の間の小門海峡は、その頃、日本一流れが速かったから、女たちはみるみるうちに流されて沈んでしまった。
それから何か月かたって、この海峡では、今まで全く見られなかった小さな美しい鯛が群をなして泳ぎはじめた。
「これは平家の官女たちの化身だ。
恐れおおいが、これをたらふく食べて、一日も早く源氏が滅びるように祈ろうじゃないか」「そうだ、これは平家の… いうなれば小さな平家、つまり小平家の怨念がこもっている。
その恨みつらみを、ワシらが代わって晴らしてやろう」 彦島の漁師たちは、その小鯛を釣りあげて口々にこういった。
そして、それからというもの、彦島や下関では、小鯛を小平家(こべいけ)と呼び、塩焼きののち酢漬けにして、しこたま食べる習慣が出来た。
しかし、平家を食べるということは良心が許さず、小平家(こべいけ)のことを小平家(こべけ)と詰めて呼ぶようになったが、それでもなお気がとがめたのか、いつの頃からかコマコダイとも呼ぶようになった。
富田義弘著「平家最後の砦 ひこしま昔ばなし」より(注)壇ノ浦で入水した平家武将の化身だと言われる『平家蟹』は、ラフカディオ・ハーンの作品によって世界的に知られている。
これに対して『小平家』は10センチ内外の小鯛で、下関では平家の女性たちの化身だと信じられてきた。
どちらも悲劇的ドラマに凝縮させた動物変身伝説の典型である。
昔は此処がおいらん道中の出発地でした。
安徳天皇の御遺骸が海から引き揚げられて安置されたところです。
名前 |
赤間神宮小門御旅所(安徳天皇殯斂地) |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.8 |
昔は此処がおいらん道中の出発地でした。
壇ノ浦に身を投げた安徳天皇の亡骸がこの小瀬戸で漁をしていた鰯網に引き上げられ赤間神宮に御陵ができるまで一時、安置されていた場所です。