朱色に輝く鳥居が印象的なこの神社。
商店街の近くに有るので、御参りしやすいです。
幼少時に独りで遊んでいました。
鳥居を往復したり、お稲荷さんに話しかけたり〜今考えると変な子と思われていたと思います、、、
朝に行きました。
神主さん?らしき人が朝早くから掃除していました。
近所の人も何人かちらほらいました。
地元の人に愛されている神社なんだなと感じました。
また行きたいです。
安徳天皇を擁して西国落ちした平家は、緒方惟義に大宰府から追われ、逃げ込んだ芦屋の山鹿城にも敵が迫ってきて、『取る物も取りあへず、小舟にとり乗って、渡られた』先が「柳の御所」。
一時的にであるが、安徳天皇が住まわれた所ということで御所となった。
「大里(内裏)」という地名が現在まで残る。
源平盛衰記の中の、小舟に乗った平家が到着した場面『沢辺の虫は声弱り、礒打浪に袖を濡す。
柳と云所に着かせ給ひたりけるに、楊梅桃李を引植て、九重の都に少似たり』京の御所に似せて、柳、梅、桃、李を植えたという。
そこで平忠度が次の歌を詠んだ「都なる九重の内恋しくば 柳の御所を立寄りて見よ」平忠度。
春と秋にお祭りが有ります。
安徳天皇の柳御所があった地です。
御所神社の入り口の右手の旧上田清次郎邸は田川市出身の炭鉱王で馬主で有名な方が建てたようです。
内装は飯塚市の『伊藤伝衛門邸』のデザインが随所にみられるとか。
建具のデザインも昭和初期に流行ったアールデコの影響を受けたものです。
建物は戦中から戦後あたりの竣工のようで、数年旅館としても使用されましたが、今では二軒ほどのテナント兼住宅となっています。
朱色に輝く鳥居が印象的なこの神社。
お稲荷さんも特徴的です。
中は閑散としていていました。
宮司さんらしき方も見当たらず、御朱印はいただけませんでした。
安徳天皇を奉じた平家一門によって建てられた仮御所が仮の内裏(だいり)と呼ばれていたことから、この辺り一帯が「内裏」(だいり)→大里と読み替えられて地名になったようです。
恐らく、見つかれば滅ぼされる命の危険があったことから、カモフラージュの意味もあったんでしょうね。
朱色が鮮やかな本堂です。
埴輪の家みたいなお社が素敵です境内も綺麗にお手入れされて気持よくお参りできますキラキラのお稲荷様も良いお顔でした拝殿左のお宅にご在宅であれば御朱印を頂けます「史蹟 柳御所」のスタンプです。
正式名称は御所神社➔柳之御所 ですm(_ _)m
朱色に輝く鳥居が印象的なこの神社。
お稲荷さんも特徴的です。
中は閑散としていていました。
宮司さんらしき方も見当たらず、御朱印はいただけませんでした。
いつの間に、屋根が真っ赤になったんですか? この近所に住んでいたのが、もう30年くらい前だからわからないんです。
それから数年後に小倉に引っ越したから、知りませんでした。
この地を「内裏」と言われていたが畏れ多いので字を変えて「大里」としたと云われる。
まさか目の前の関門海峡が平家滅亡の場所になるとは思いもよらなかったろうな。
また、気になることが書かれているのだが・・・賢明なる読者諸氏であれば気が付くのであろうが、ここに柳ヶ浦と平清経の名が見える。
えっ、ここが柳ヶ浦なのか。
駅館川が注ぎ込む豊前海が柳ヶ浦ではなかったか。
903年前のことなのだが正しい記憶(記録)はないのだろうか。
安徳帝にしてもその後の説が色々とあることも判っているが、この対岸にある赤間神宮横の阿弥陀寺の八角墳が・・・うーむ。
安徳天皇の柳御所があった地です。
名前 |
御所神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
伝統の神社です。
門司の誇りです!