昭和12年(1937年)に建てられたこの建物自体が...
唐戸市場や関門橋に行きながら寄りました。
日清戦争時代の日本と中国の歴史の資料や展示物などが見れました。
世界史の授業だけでは思いつかない実態が想像出来て良かったです。
春帆楼本店の横にあります。
当時の総理大臣伊藤博文と中国の代表と交わした、日清講和条約の場面を再現してあります。
条文、出席者の写真などが展示されています。
実際に座っていた、机、椅子も展示されていて、椅子の後ろに座っていた人の名前が書かれています。
この記念館は、1895年春帆楼で開かれた日清講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため1937年に、春帆楼の隣接地につくられました。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺品などを展示しています。
日清講和条約が締結された『春帆楼』の敷地内にある記念館です😃入場料は、無料で歴史を勉強出来るのも嬉しいですよね!
日清戦争後の講和条約締結に関する記念館で、当時の資料や調度品などが展示されていますが 、昭和12年(1937年)に建てられたこの建物自体が国の登録有形文化財です。
会議場を再現した部屋があり、訪問時はこの記念館が会議の場所そのものなのかと勘違いしていました。
日清戦争の下関条約が締結された場所が再現されててテンションが上がりました!伊藤博文&陸奥宗光コンビの銅像もあります。
写真撮影可だったはずです。
勉強になってとても良かった。
小さい記念館ですが、当時の品も展示してありよくまとめてあります。
もう少し出来事を深堀した情報も欲しいですが…
日本近代史で1つのターニングポイントになったと思える出来事の舞台が再現されている。
無料で入館することができるので下関を訪れた際には立ち寄ってみてほしい。
日清講和記念館は、明治28年(1895)春、この地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12年(1937)6月、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示している。
また、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子を紹介してある。
・草花文蒔絵硯箱・フランス製のストーブ・浜離宮から下賜された椅子・再現した講和会議場鉄筋コンクリート造、入母屋造、本瓦葺の記念館建物は、組物や懸魚(けぎょ)など細部に伝統的な意匠を用いて、威風ある外観を形成しています。
これらの特徴が「造形の規範となっているもの」として評価され、平成23年(2011)1月26日、国の登録有形文化財に登録された。
歴史的な場所が再現されたので、日本人だけではなく、台湾人の私にも自分の歴史がもっと認識してきた。
日清講和記念館は、明治28年(1895)春、この地で開かれた日清講和会議と、下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、昭和12年(1937)6月、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示している。
また、館内中央には講和会議の部屋を再現し、当時の様子を紹介してある。
・草花文蒔絵硯箱・フランス製のストーブ・浜離宮から下賜された椅子・再現した講和会議場鉄筋コンクリート造、入母屋造、本瓦葺の記念館建物は、組物や懸魚(けぎょ)など細部に伝統的な意匠を用いて、威風ある外観を形成しています。
これらの特徴が「造形の規範となっているもの」として評価され、平成23年(2011)1月26日、国の登録有形文化財に登録された。
建物自体が登録有形文化財になっているほか、内部では下関講和条約締結のテーブルが再現されており、歴史の1ページを感じることができます。
内部には講和条約に至るまでの関連資料も展示されているので、勉強になります。
このような施設が無料開放されているのはありがたいです。
下関会談の雰囲気が感じられます。
大変貴重な光景の再現だと思います。
李鴻章たちとの会談で、ふぐ料理は出たのか、気になります。
李鴻章は、日本人論や文化論に精通しており、鎖国後の日本の動き方を高く評価しています。
幕末、外交関係のない徳川幕府が派遣した上海使節団を受け入れ、日本の将来を見据えていたと思われます。
下関の赤間神宮の隣にある。
記念館は無料で見学できる。
奥にはフク料理の発祥の地と言われる春帆楼がある。
高級料亭、旅館でもある春帆楼の敷地の一角にある展示室で、この建物自体が1937年に建設され、文化財となっています。
春帆楼は1895年の3月20日から4月17日にかけて日清戦争終結に向けて交渉が行われた場所で、その建物は1945年に焼けてしまったそうです。
現在交渉の行われた部屋が再現展示されており、臨場感を味わうことができます。
当時清の特使は近くの寺に滞在していたそうで、寺と春帆楼を結ぶ道を今も辿ることができます。
明治28年(1895)3月19日清国の 講和使節団 が 関門海峡 沖合い に停泊翌日から 料亭 春帆楼 で日本全権 伊藤 博文、陸奥 宗光清国全権 李 鴻章両国の 代表11名で 日清講和会議 が 開催され4月17日に 講和条約が 調印されこの 講和条約は 下関条約 と 呼ばれていますこの地 が 講和条約 の 地に なったのは関門海峡 を 大陸へ 向かい通過する 軍艦 や 軍船 を 間近に 見せられる最適 な 場所に 建ち 講和会議 を 行うのに耐えうる だけの 建物講和会議は、春帆楼の 二階で行われました。
記念館 は その 部屋 を 再現してテーブル や 椅子は 当時の 物です。
赤間神宮左側の料亭春帆楼の入口を入って右側にあります、無料で9時~17時迄見学が出来ます、館内は実際に仕様された机や椅子、書簡等を展示しています、春帆楼のすぐ横には講和条約に参加した伊藤博文の本陣址もあります。
条約交渉の席が再現されていて面白い。
席に参加者の名前が書かれていましたが少々読みにくかったですね。
日清戦争に勝利し、ここ春帆楼で講和条約を締結した。
当日の講和会議会場を保存している。
下関条約調印時の歴史的な場所が保存されており、是非立ち寄りたい。
伊藤博文がご愛顧の春帆楼に隣接しています。
春帆楼って下関がフグで有名になるキッカケですね。
総理の依怙贔屓もあったのかな〜⁉︎清の全権大使の李鴻章の道があります。
「李鴻章の道の精神」を大事にしたいですね。
名前 |
日清講和記念館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
083-241-1080 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
日清戦争の頃は日本は強かった。
この戦争に勝ち、以来台湾を譲り受け50年間も統治をしていた。
かなり長い間台湾は日本だった。