元国道2号線沿いに有る神社です。
厚狭の丸久の駐車場の後ろにあるお宮です。
街の片隅にあって静かな雰囲気の広い境内に恵まれています。
本殿の後ろには数多くの祠が並びます。
手水舎はあるけれど、溜まっているだけなので使う気にならない。
白鴨二羽が飛来とか、京都の下鴨社から御分霊とかの御由緒はあるが、何だかしっくりこない。
ご神木もあります。
元国道2号線沿いに有る神社です。
近くに有るショッピングセンターに買い物がてら参道されては。
名前 |
鴨神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6943 |
評価 |
3.7 |
古天皇22年、(618年頃)百濟国聖明王第3の御子、琳聖太子(山口大内家の元祖)が天皇に御対面の為都に上られた。
御母皇后(聖明王の后妃)は愛憐の餘り太子の御跡を慕われ大和の朝廷に向けて船出された。
同年乙亥4月中午日、長門国白江の浦(梶浦)で御船の揖が折れたので、そこの川辺を伝い登られると、水際に巌(皇后石ー現御旅所)があったので、そこでお休みになった。
麻わらしべを積んで、仮の菴りを造って一夜を明かされた。
夜が明けて見ると召された御履が見あたらないので、お供の者に尋ねさせると、川上の野中(沓)にあった。
それでそこに、御殿を造られ、都の太子とは年毎に音信されたが、会うことかなわず、舒明天皇3年6月崩御された。
(沓の田の中に陵がある。
)大同3年4月、(808年頃)白鴨が2羽飛んで来て、社の中に入り、「神号」がないとお供の人に「おつげ」があり、大内氏に言上して、京都に申登され、勅許の上、下鴨は梨木家(上鴨は鳥居家)によって、同年七月沓の里に奉幣し、鎮座された。
爾来今日まで1180余になる。