今は城跡の形跡はなく秋宮の駐車場になっていて案内板...
今は城跡の形跡はなく秋宮の駐車場になっていて案内板と金刺盛澄の銅像があります。
諏訪大社秋宮に到着し、先ずは霞ヶ城跡(手塚城)へ(^^)。
木曽義仲に従った金刺光盛のお城で、源義経の追討軍を相手に戦死したとのことでびっくり😲。
木曽義仲のお墓のある滋賀県の義仲寺に関係があるかもと、勝手に想像~😌。
そして、金刺光盛ではなく盛澄の銅像にご挨拶してから秋宮へ(^^)。
すでに駐車場..(・・;)眺めはイイトコ♪説明板と金刺盛澄の像がある。
馬乗りに弓矢を構えた姿はカッコイイ神社にお参りがてらのお散歩が清々しい気分になるよんお湯も出てるし( ´∀`)
駐車場と秋宮を結ぶ地点に歴史案内板がある。
平安時代にはもう築城があったというだけに見晴らしのいい高台。
当面ということで「下社秋宮」参詣者用無料駐車場なっている「ホテル山王閣」(2017/平成29年3月31日で営業終了)の跡地は、また平安時代末期の武将で「源義仲」の挙兵に参加し、最後まで義仲に従った四騎のうちの一人で、義仲とともに戦死した「手塚別当金刺光盛(てづかべっとうかなさしみつもり)」(不詳~1184/寿永3年)の居城跡とも伝えられる「諏訪湖」を見下ろす眺望優れた土地だ。
現地では「城主光盛は、木曽義仲に従い、寿永二年(1183年)義仲の火牛の奇襲戦法で有名な倶利伽羅峠の合戦に源氏方で参戦。
つづく加賀篠原の戦では、敗走する平家群の中にあって、ただ一騎ふみとどまって奮戦する武将斉藤別当実盛と一騎打ちに及んだ。
この古式に則った見事な一騎打ちは、武士道の鑑とされ、能『実盛』の題材となって今に伝えられている。
」と案内される。
名前 |
霞ヶ城(手塚城)跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.1 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
諏訪大社下社秋宮に隣接する駐車場にある城跡。
まあこの駐車場からは諏訪湖の眺めもいいし、そのまま郭の跡と見えなくもないです。
まあそんな目で見だしたら秋宮全部が城跡っぽく感じますけど、はっきりした遺構はないようです。