みやこ町歴史民俗博物館の隣りにあり、整理しているの...
みやこ町歴史民俗博物館の隣りにあり、整理しているので。
って。
落ち着いた、赴きのある佇まいが、心を癒します。
以前から何度か参拝に訪れていたのですが、前の宮司さんが引退されていて、今回やっと昨年の4月から兼務されている二児神社さんで、御朱印を拝受出来ました!
訳あり、今は宮司さんは居ないのですが、町内の方達が館内の清掃とかをされてるとか。
以上。
小笠原家に興味がありお詣りさせていただきました駐車場もあり広い境内は綺麗にお手入れされていて気持よくお詣り出来ます手水に願いが叶う水かけ地蔵さまがいらっしゃいます御朱印も頂けますし綺麗なお守りも種類がありました宮司さまから三階菱家紋や小笠原家のお話、神様や四季の日本語など沢山お話をうかがえて楽しかったです。
小笠原の名前が付いた神社です。
紆余曲折の有った神社で、文化四年五月に小倉城の中に社を建立。
慶応二年八月長州戦争で小倉城が消失、門司の若布刈神社に合祀。
明治二年十一月「豊津潘」発足に先立ち若布刈神社から豊津の八景山に移る。
のちに招魂社(現 八景山護国神社)と合祀。
明治十八年十一月「小笠原神社」として現在場所に移る。
明治二十三年三月縣社になる。
御朱印を書いて貰った時に、色々お話を聞かせて下さり此処が小笠原の本家で、全国に分家が有り、合わせると黒田五十二万石に匹敵する大きな潘だったと話てくれました。
とても親切な神主さんでした。
又お参りに行きますね。
この神社は小笠原氏の祖霊を祭る霊廟(れいびょう)です。
小笠原氏の家名のもとになった「小笠原」の地名は甲斐国巨摩郡に見られ、小笠原牧や山小笠原荘があった現在の山梨県北杜市明野町小笠原と、原小笠原荘があった現在の山梨県南アルプス市小笠原に居館があったとされる。
戦国時代には小笠原氏の宗家は武田氏に所領を奪われて没落するが、安土桃山時代に再興し、江戸時代には譜代大名となった。
寛永9年、播磨国明石藩より小笠原忠真が入部し、小倉城主として豊前北部15万石を領した。
なおその際、支城の豊前中津城には忠真の甥長次が8万石で入部し中津藩が、同じく豊後杵築城には忠真の弟忠知が4万石で入部し杵築藩が成立した。
幕末長州にやられなんとか名を残した小笠原 鶴田の松平共に忘れられない。
名前 |
小笠原神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0930-33-5673 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
神職不在となり 二兒神社の神職が兼務。