田んぼの中の道沿いにあります。
標高約40m前後の丘陵地に、上の写真のような大きな穴がたくさんあいています。
これが横穴墓といわれるもので、この穴のなかに当時なくなったかたの遺体を安置していたと考えられています。
横穴墓の数は合計で49基。
もともとは46基だけがみつけられていましたが、2006年から2007年におこなわれた教育委員会の調査により3基みつけられ、プラスして49基となりました。
その数の多さから地元では「百穴(ひゃっけつ)」とよばれています。
『新京築風土記(山内公二著)』P.337では”今からおよそ1400年前の古墳時代に造られた墓”といわれています。
1400年前ということは、西暦600年前後ということです。
案内板の説明によると…百留横穴墓群の北側に金居塚遺跡があり、この金居塚遺跡のつくられた時代が6世紀後半から7世紀前半(550年~650年)とされ、百留のお墓もこの時代と同時代につくられたと推定する…とあります。
西暦200年~600年の間が「古墳時代」とされているため、百留横穴墓群や金居塚遺跡は古墳時代末期のものといえます。
山国川流域には前記の2つの遺跡のほかに、もうひとつ、上ノ原(うえのはる)横穴墓群もあります。
どうもこの山国川流域は古墳時代からヒトの居住には適した場所だったのではないかと考えられます。
百留横穴墓群からは1600点をこえる副葬品がみつかりました。
もともとこれらの穴は土砂によりふさがれていましたが、2006年から2007年におこなわれた発掘調査により、こんなにきれいな状態にまで復元されたそうです(参照:『新京築風土記(山内公二著)』P.337)百留横穴墓群がある丘陵地のいちばん北側に自動車が数台とめられる駐車場があります。
この駐車場に近い場所から南側へいくにつれて横穴墓の穴の大きさがちいさくなっています。
いちばん北側の穴は、横穴墓のなかでもいちばん巨大で、大人がややかがむくらいで穴のなかにはいれるほどです。
駐車場あり、自然に恵まれているから。
平日の昼間に行きました…。
誰一人いなくて、ゆっくり見る事ができたんですが、駐車できるスペースが車数台分しかなくて万が一休日にたくさん見学者が押し掛けたら難しいのかな?と思いました。
防空壕のような古墳でした!1つひとつ区切ってある穴と、迷路のように繋がっている穴もあり見ててあきませんでした!駐車場もあって助かりました。
1400年前のものとは思えないほど。
ずらりと並ぶ穴は一見の価値ありです。
古墳や古墓はいろいろあれど、横穴墓がずらり並んでいるのは、壮観です😁
神秘的。
もう少しPRと整備されていればもっと良いと思う。
田んぼの中の道沿いにあります。
たくさんの横穴が残っているだけですが、当時を想像すると、結構な衝撃です。
一見の価値あり。
意外とモルタル跡あり。
歴史的価値云々の前に、地域に認知され、何かしらの近代祭事文化に溶け込んだか、再解釈されたものと思われます。
古代のロマン。
県道16号が山国川に沿って耶馬渓まで延びている。
大平村百留に差し掛かると不思議な光景が車窓に飛び込んでくる。
岩を穿いて、所謂岩窟を墓所としている。
これなら川の氾濫などではまず流されまい。
鉄器を所有していないとこうはいかんだろうな。
しかし、この様な光景を目の当たりにするのは珍しい。
草茫々は嫌だがな。
名前 |
百留横穴墓群 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
わざわざ見に行く価値あり🙆もっと有名になるべきです✨