神保長職(ながもと)により天文12年(1543)頃...
全国一の宮巡りで、立山の山頂にある雄山神社•峰本社を参拝するために宿泊した富山市内のホテルから、早朝の散歩とウォーミングアップを兼ねて訪れました。かつての富山城は、加賀百万石で有名な前田家の分家が江戸時代に治めたようで、「越中富山の薬売り」を始めた2代藩主•前田正甫の銅像もあり、富山の歴史を知ることができました。雄山神社の峰本社を登拝した翌朝にも散歩で訪れましたが、南西側のお堀沿いに「AMAZING TOYAMA」のモニュメントを見つけ、前日の朝とは違うお城の姿を楽しみました。
駅から徒歩10分程度。
天守閣に入るためには210円必要です。
歴史の博物館になっており城内はこれまでの富山城の歴史がまとめられております。
天守閣は網が張り巡らされておりますが、風が通って心地よかったです。
外国の方も結構いらっしゃいました。
見学時間30分程度。
富山出張の朝活で訪問。
週末の朝7時はほとんど人もいません。
お城というよりは街の公園です。
見どころは?と聞かれると、天守の中まで入っていませんので、なんとも言えませんが、市民の憩いの場であることは間違いないでしょう!
公園は24時間無料で入れます。
風情は良いですね。
早朝や夜間だと人が居ないぶんのんびり散歩できます。
小さな博物館以外、施設というほどのものはありませんが季節ごとにほっこりとする良い公園だと思いました。
中に博物館がありました。
展望台は3階なので遠くを眺めることはできませんが公園が見渡せるほか、路面電車もよく見えます。
近年に作られたお城で、中は博物館となっている。
途中まではエレベーターで行けるので便利。
天守まで行くのには階段で2階分ほど登らなければいけない。
天守まで行くと、1人しか通れないほどせまく、更に金網があって眺望がきかない。
だけれど、博物館として、大人210円という値段なら十分満足できる展示がされている。
キレイな庭園は無料で入れるので、散歩にはちょうど良いと思う。
御城印は、門の横にある、富山市まちなか観光案内所で購入できる。
車なら、門の正面にあるテクノパーク24という駐車場が安いのでオススメ。
高岡駅から約600mくらい。
天守はレプリカで資料館になっている様だ。
石垣を見るのは楽しい。
地下駐車場はバイクも停められます。
最初の1時間¥330。
城址公園は全国数有れど風格とこの桜の季節、素晴らしいの一言です。
特に松川の花見クルーズは何とも言えない風流です。
佐々成政や富山藩主前田家の居城であった富山城。
この城跡が富山城址公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
公園内に残る石垣や濠から当時の威容を見ることができます。
駅からも近く徒歩で行ける範囲内です。
庭園も綺麗でした。
富山県民でありながら初めて中に入りました。
県外の国宝になっている様なお城ばかり行って自分の地域のお城には無関心なのはダメだと思い訪問しました。
感想は思ったより良かったです。
200円位で展望台まで行けるので天気の良い日に是非行ってみてください。
帰りに近くのANAクラウンプラザホテルでマリトッツォがお薦めですよ。
公式サイトより富山城は、神保長職(ながもと)により天文12年(1543)頃築城されました。
神保氏が神通川を越えて進出したことで椎名氏と大規模な争いとなり、富山城は神保氏の本拠となりました。
椎名氏は越後上杉氏の代官となったいたので、神保氏の進出は上杉謙信の出兵を招くこととなり、永禄3年(1560)、神保長職は上杉謙信に追われ、富山城も上杉謙信の支城となりました。
その後も上杉謙信の侵攻は進み、天正4年(1576)頃には越中全域を支配下におさめました。
天正6年(1578)上杉謙信没後は、織田信長の勢力が越中にも伸びてきました。
織田方についた神保長住が富山城に入り、佐々成政が越中を与えられます。
天正10年、佐々成政は富山城を奪い神保長住を追放します。
その結果、佐々成功成政が富山城主となりますが、本能寺の変で織田信長がたおれ、羽柴秀吉が台頭すると対立し、天正13年秀吉の討伐を受け、富山城は破却されてしまいました。
文禄4年(1595)前田利家は、秀吉から富山城のある新川郡を与えられました。
慶長2年(1597)利家嫡男利長が富山城に入り近世城郭として整備されましたが、大火によって焼失し、元和元年(1615)、一国一城令により廃城となります。
寛永16年(1639)加賀藩より10万石分与された前田利次は、富山藩初代藩主として廃城となっていた富山城を居城とし本格的な整備を行いました。
富山前田家は廃藩置県まで13代にわたりこの地を支配しました。
明治6年廃城令により富山城は廃城となり、城は破壊され現在は旧本丸と西之丸部分だけとなりました。
大阪城等の大きな城をイメージして来ない方がよろしいです。
街中の一等地に小さな城と癒しの庭園(池)。
美術館のカフェ利用で見るのがお奨めです。
余談ながら、飲食への注意はカラス宛て。
コンパクトなお城で可愛かったです。
敷地内にコンビニなどはありませんが滞在時間が長くなる程の敷地面積でもないので特に問題なく観光できました。
、
内部は郷土資料館になっています。
天守閣からの眺めは大変すばらしいのでおすすめです。
是非とも中に入って楽しんでください。
神保家の戦国時代から上杉を経て佐々、前田へと歴史の移り変わりを楽しめます。
特に映像はすばらしく在りし日の富山を深く理解することができます。
また明治以降の歴史も展示されているので、こちらもまた楽しめます。
名前 |
富山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
076-432-7911 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
2024.9.14佐々成政が城主の富山城跡迄ランニング何やら あちこち周りは工事中🚧ですねお堀の水抜きをして綺麗にしている最中でしたね。
地震の影響もあったのかしら。
近くの松川も今あちこち 工事をしているようでした。
富山駅周辺もいろいろ被害あったのですね。
安全第一 頑張ってください。
お庭を歩くと 公園のようになっていて資料館などがございました。
早い時間なので 見れませんでしたがまた機会があれば ゆっくり石垣を見たいなと思います。
「野面積み」「布積み」「算木積み」「鏡石」などゆっくりと眺めたいですね。
富山城は、越中国新川郡富山(現在の富山県富山市丸の内)にあった日本の城「浮城」「安住城」ともいわれたそうですね。
(安住城は富山城とは別の城という説もありとの事)【改修工事】佐々成政 前田利長 前田利次との事【城主】神保氏 上杉氏 佐々氏 前田氏等【築城】 1543年【廃城】 1871年。