大分県国東市国見町櫛来にある神社、岩倉八幡宮とも呼...
毎年10月14日にあるケベス祭りに行ってきました。
「由来も何もありませんが(笑)」と仰っていたのが面白かったです。
祭りは毎年とても厳かでもあり賑やかでもあり楽しかったです。
今年は祭日であったので人もとても多かったです。
また来年も行きたいです。
今年の様子はまたテレビで放映されるそうでチラシを配っていました。
毎年10月14日に開催されるケベス祭りが有名です。
看板を見て下りてみたら、参拝用の駐車場は見当たらない。
車が停めてあるのは、オニオントリミング工場のもののようだ。
櫛来(くしき)とは「奇しき」であろうから、謂われが。
と思ったら、いわくら(磐座/岩倉)社で通ってきたものを、地名に合わせて改称したらしい。
つまり、高田にある粟嶋社のようなイワクラがあったのを祀る社だったらしい。
それで鳥居の扁額も「岩倉社」とある。
「元宮の下」というから、そのイワクラを拝むべく歩いてみたが、河口のような湊のような地形から海へ出るばかりで、岩倉は見つからなかった。
地形が変わって埋まったか磨り減ったか、できればその案内か説明も欲しかった。
岩倉社の名を残すくらいだから、相当な歴史ある社のはずなのに、残念。
ケベス祭という奇怪な神事があるらしい。
えっちなお祭りではなく、参拝者が襲撃されるのだという。
その意味も不明なのに続けているという。
そんなに皆さんドキドキしたいのか?男に襲われるなど勘弁蒙りたいところだが。
おそらく外来の侵略者を記憶する作業に違いなく、そんな話も北部九州や山陰なら珍しくない。
解らないのは、豊後水道に来た敵の由来。
水先案内なしに関門海峡は通れない筈で、瀬戸内海を西進してきたか、日向灘を北上してきたか。
しかし相手は話が通じなかったようだから、言語体系が異なる?何者だったのだろう?因みに「神話は出鱈目な作り物で、現実の歴史と無関係」などとほざく輩を、小生は信頼できない。
創作に関わる者として断言する。
ネタのない作り話など存在しない。
あらゆる創作は、取材に始まる。
どんなに出鱈目に見えても必ず、どこかから持ってきた何かの痕跡が残っているものなのだ。
聖書の大洪水伝説が、19世紀に発見された四千年以上前のギルガメシュ叙事詩を剽窃していたように。
大分県国東市国見町櫛来にある神社、岩倉八幡宮とも呼ばれる。
大分の神社は殆ど八幡に習合されてしまうが。
豊年祭に関係するとされる「ケベス祭」が有名今もって女人禁制というケベスの面は古拙且つ不気味。
今回も勉強させていただきます。
ひもろぎ逍遥様のHPより抜粋 ケベス祭は櫛来社(岩倉八幡社)の秋の例大祭の宵祭りとして10月14日の夜に行われる火祭りです。
国東には宇佐とは別系統になる石清水系の八幡宮が数多く分布しています。
その中心が伊美の別宮社であり、その別宮の意味も京都の石清水の同格社の別宮との意味なのです。
してみると、石清水八幡宮として宇佐から八幡神を勧請したのは奈良時代の皇族・公卿であった橘諸兄(西暦684年~757年)を頂点とする橘一族であり、同時に紀氏であったことに思い至りました。
このことから、隣の岐部神社の岐部の意味も氷解したのですが、岐部とは紀氏の一族を意味しており、国東でも大田村の財善一族をはじめ、国東全体が紀氏の一族の影響下にあったことを知りました。
聖武天皇天平15年(743年)の橘奈良麻呂の変を始めとして、橘一族(紀氏)何度となく藤原氏から抑圧され続けますが、その紀氏の一族こそ久留米の高良大社の一族、即ち九州王朝の一族だったようなのです。
ケベスとは、紀氏の部民=岐部=木部ではないかと思うのです。
当初、仮面来訪神とか恵比寿とかアカル姫伝承などを中心に考えていたのですが、いずれも不釣り合いで、やはり、「岐部の衆」または「岐部の主」(紀氏の主=あるじ)しかないだろ言うと思うようになりました。
だからこそ、国東町には高良があり、別宮社を始め多くの神社には高良神、仁徳天皇(オオサザキ 実は九躰皇子の長男=斯礼賀志命/シレカシノミコト)が立派な境内社として祀られているのです。
伊美の正面、姫島の意味も、実は姫(キ/中国音ジー)であり、紀氏の紀の原形(姫)であることに気づくのです。
中国側の多くの史書において、倭人は中国の春秋時代に存在した君国の一つ「呉」の太伯の裔とされていることは、古代史に関心を寄せる人はどなたも御存じですが、「呉」(紀元前585年頃 - 紀元前473年)の太伯王の一族の姓は「姫」なのです。
今回の結論 筑紫(九州)は、約 7,300 年前に生じた鬼界カルデラの破局的噴火により焦土化してしまします。
長い間無人であり徐々に近隣の古代の人々が入植・誓約を繰り返して形成されてきた島であったと思います。
古代の言葉の発音の変化や意味・意義の形骸化により不詳に成りながらもコミュニティが維持される限り先祖への畏敬の念にて「祭り」が継続されていくことは不思議で素晴らしいことだと思います。
今回のニュースにて、参加者の誰もが、ケベスの意味も意義もわからないと発言されていたことについては、大和政権の一大事業であった「記紀の編纂とその正当性を強制融合させる事業」は完全に成功していると思いました。
毎年10月14日に行われるケベス祭、2017年に行きました。
心配していた駐車場も港の奥の方まで使わせてくれるので駐めることが出来ました。
境内は人でごった返していて、境内への入り口での立ち見となりました。
ケベスさんが隙を伺って何度も火を盗もうと狙う姿はユーモラスであると同時に、なるほどギリシア神話のプロメテウスの火かも、と実感する事が出来ました。
福岡東部と大分の天狗・鬼の伝承は実在したのではと思えるリアルさですし、ギリシャ神話を知るユダヤ系の人が、東進の果てに谷間が一杯ある独特の地形の国東半島に当時隠れ住んで居たとしてもおかしく無いと思います。
祭りのクライマックスでは轟々と燃える檜の葉をお客の上にかざします。
当然火の粉が降り注ぐのですが、「どういう訳か大きな火傷は起こらない」とスタンバイしている消防団の方々が教えてくれました。
とは言え、化繊の服なら確実に穴が開くだろうなぁ。
大人の好奇心も満たされましたし、子供も怖がりながらも楽しんだようで、行って本当に良かったです。
平安時代に、この地区の氏神として宇佐神宮の分霊を勧請した神社です。
有名なケベス祭が行われる神社で、この祭りはなんと起源も由来も不明なのだそうです。
参拝者を火のついたシダを持って追い回す少し恐ろしいお祭りですw
雰囲気がいい。
お堀と渡り廊下のがある。
ウシガエルがたくさんいる。
毎年10月14日にケベス祭りが行われます。
毎年10月14日開催されるケベス祭りは必見です焼けてもよい服装でお楽しみを。
名前 |
岩倉社(櫛来社) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.4 |
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この神社はケベス祭りの神社です。
毎年10月14日です!とても楽しかったです。
Looking for a wild evening? Come join the Kebesu Festival on October 14th every year! It’s a night to remember.